ひなたのにおい 白い小さな子供が眠っていた。 薄暗い書庫の中で、数少ない窓の側にあるソファーは、まるでスポットライトに照らされたように明るい。日除け越しの真冬の光に、埃がキラキラと舞っているのが見えた。紅いベルベットのソファーに横になっている子供は、よく眠っているのか動く気配もない。すうすうと小さな寝息だけが、微かに聞こえている。 ディーノは手にしていた古い本を傍らのテーブルにそっと置くと、その子供を眺めてにっこりと笑った。 キャバッローネファミリーのボスであるディーノは、わりと頻繁にボンゴレ本部に出入りしている。ボンゴレの同盟ファミリーであるとはいえ、本来ならそうそう来る用事はない。ディーノの本音は、自分の弟弟子にあたる綱吉のことを構いたくてしょうがないのだ。ボスになったときから部下のほとんどが年上ばかりだったこともあり、本当の弟のように可愛がっていた。この日も、部下のロマーリオだけを連れフェラーリで乗り付けて来ていた。綱吉の執務室に行く道すがら、借りていた古い文献を書庫に置いていこうと立ち寄り、その白い子供を見つけたのだ。 気配を殺してそっと近づく。身体を丸めて眠るその子供は、よく見れば古い神学の本を抱き込んでいる。子供が読むには難しすぎる本に、ディーノは思わず眉を上げた。抱き枕にしては固そうなその本に手をかけ、そっと抜いてやる。支えを失った右手が小さくわななくと、閉じられていた瞼が微かに震えた。ディーノはその小さな手を握ると、開ききらない瞼に柔らかいキスを落とす。 「まだ寝てていいよ」 ディーノの囁きに頷くと、自分の手を握る温かい手に頬をすりよせ、再び眠りに落ちていった。 「…で、連れて来たんですか」 「しょうがないだろー。置いとけなくてさ」 「わかりますけどね」 ソファーで向き合う二人のボスは、ごくごく小さな囁き声で話している。だからといっても、トップ同士の秘密の会話等というものではない。二人はディーノの腕の中にいる隼人を起こさないようにしているだけだ。そんな二人を、ロマーリオはドアの横に立って笑いながら見ていた。 あの後、隼人はディーノの手に頬擦りすると、その人差し指を握り締めてしまったのだ。指をほどこうとすると、それを嫌がるように眉を寄せぎゅっと握り締める。結局、いつまでたっても一向に書庫から出てこないボスを心配したロマーリオが顔を覗かせるまで、ディーノはどうすることも出来ずに固まっていた。ちなみにロマーリオが書庫を覗いた理由は、ディーノが転んで気絶しているのではないかと思ってのことらしい。 「よく寝ているから、抱き上げて連れてきちまった」 「珍しいですね。隼人は人の気配には敏いし、ましてや初対面の人にこんなに無防備なんて」 「ん?そうなのか?」 「ええ」 綱吉は、笑いながら指の背中で滑らかな頬をなでてやる。隼人は目を覚ますことなく、くすぐったそうに笑った。 「ディーノさんは、彼等に好かれる人なのかな」 「彼等?」 「隼人は、山本の…」 ――バンッ 普段ならは、ボスの執務室の扉をいきなり開くような人間は絶対にいない。しかし綱吉は、今この瞬間であれば誰なのかがすぐに分かった。楽しい静寂の時間の終わりを告げる使者に向かって、人差し指を立てて一応注意を喚起する。 「しーっ!」 「はっ、はや…と」 山本は何故か必死の形相で飛び込んできたが、綱吉と目が合うと反射的に言葉を飲み込んだ。 「せっかくよく寝ているから、静かにしなよ」 綱吉がそう言って笑うと、山本は呆気にとられたような顔をする。 「え?だって『隼人、危ないよ』って…」 その口調で誰だかわかってしまったが、眉間を指で揉んだ綱吉は念のために質問した。 「誰が言ったの?」 「…骸」 綱吉の脳裏に、実に楽しそうに笑う骸が浮かんだ。からかう骸も骸だが、いい加減山本もそのことに気付いて欲しい。 「山本、隼人は書庫で眠っていただけだよ」 山本はほっとしたように表情を緩めた――が、その目が笑っていないのは、気のせいだろうか。 「…で、それをディーノさんが連れてきてくれたんだ」 ――気のせいではなかったらしい。 ニコニコと笑う山本の目には、殺気にも似た光がある。ひきつった笑顔の綱吉に対して、ディーノは涼しい顔をしていた。 「返したいのは山々なんだけどな。この子が指を離してくれないからさ」 ――うわあディーノさん勘弁して。 綱吉はこれ以上巻き込まれるのを避けるため、そっとソファーから立ち上がり自分のデスクに戻った。 「ディーノさん、すみません。隼人を引き取りますよ」 「いや、ハヤトは本当に軽いから、全然平気」 「いやぁ、余りご迷惑をかけるのもなんですから」 「でも、寝ているのを起こすのも可哀想じゃん」 「いえ、返してもらいます」 「遠慮するなよ」 「…ディーノさん」 もう、作り笑顔すら浮かべていない山本に対して、ディーノはニコニコと笑いながら話している。 「んっ…」 ディーノと山本の間で、小さな声が上がった。 隼人は少しだけ顔をしかめると、握り締めているディーノの手を引き寄せた。 「…うー」 ぐずる隼人をディーノは然り気無く抱え直し、匂いを嗅ぐようにその髪の毛に鼻を埋める。 「ごめんな…うるさかったか?」 ごく小さな声で謝ると、隼人の髪の毛にキスを落とした。すると隼人は、安心したように表情を緩め、ディーノの胸に頬をすり寄せる。何度か角度を変えて気に入った位置を見つけると、隼人はその胸に顔を埋めるようにして動かなくなる。ディーノにすっぽりと抱えられ、隼人は仔猫のように丸くなった。 正面からそれを見ていた山本の纏う空気が、急激に温度を下げる。相手に威圧感さえ抱かせる山本の本気の殺意に、綱吉は背筋に冷や汗が落ちるのを感じた。 ――やはりディーノさん、度胸あるなぁ。 綱吉は状況も忘れて妙に感心していた。溜め息をつきながら携帯電話を手にとる。 『…はい?』 「今すぐ来い」 『どうしましたか』 わかっている筈なのに堂々とそう聞き返す骸に、綱吉は手にしている携帯電話を指で弾くことで抗議をする。 「この二人を、俺一人で止めろっていうのかよ」 『大丈夫だと思いますけどね。今向かっています』 やたらと落ち着き払っている骸の返事が気になったが、綱吉はとりあえず電話を切った。 山本の隠しもしない殺気を、ディーノは笑顔のまま受け流す。胃の痛くなるような二人の間の緊張感がピークに近づいていく――。 「んっ…あ…れ?」 周りの声で目が覚めてしまったのか、ディーノの腕の中の隼人がもぞもぞと動き出した。抱きしめられていた腕の中で一度大きく息を吸い込むと、身体を丸めてから伸びをするようにして起きる。目を擦りながらボンヤリと辺りを見回した。 「…やま…もと?」 「隼人?」 山本が声をかけるとそちらを振り返り、二、三回まばたきをして見つめ返す。まだ覚醒していないのか、不思議そうな顔をしていた。 「…あれ?…ほんを、よんでいて…ねてていいよって」 隼人は小さく首を傾げる。 「なんで…そっちにいるの?」 自分が握っている大きな手に目線を移す。 「ああ、連れて来たのは俺だよ?」 突然後ろから声をかけられて、隼人はゆっくりと振り返った。ニコニコと笑っているディーノを見上げた後、視線を落とす――そこには、その手を握り締めている自分の右手。 「!!」 隼人は一瞬にして顔を真っ赤にすると、右手を離して飛び起きた。慌ててディーノの膝から降りると、反対側にいる山本に駆け寄り、その後ろに隠れてしまう。 ディーノが楽しそうに声を上げて笑う中、山本は先程までの殺気を綺麗に消し去った笑顔で自分の背後にいる隼人に手を回して抱き込んだ。 「おはよう、隼人」 隼人はしばらくは恥ずかしくて逃げ出そうとしていたが、ようやく少し落ち着いたらしい。今は山本の膝に抱き上げられてその胸に顔を埋めている。山本はその頭を撫でながら、複雑な表情をしていた。 「…じゃあ隼人は、ディーノさんをずっと山本だと思っていたの?」 綱吉の柔らかい問いかけに、隼人は微かに頷く。 「…だって…なんとなく…にていたから」 首まで赤くしながら、隼人は小さな声で答えた。 「…でも、とちゅうでちがうってわかった」 少々落ち込んでいる山本を心配してか、そのワイシャツを掴んで顔を見上げる。 「まちがえて、ごめんなさい」 それまで少し浮かない顔をしていた山本が、途端に表情を緩めた。必死の表情で見上げる隼人の額に軽くキスをする。 「全然、謝ることないよ」 その一言で笑顔になった隼人は、小さな手を山本の首に回してぎゅっと抱きついた。匂いを嗅ぐように鼻を摺り寄せて声を立てて笑う。 「やまもとは、ひなたのにおいがするから」 そしてディーノを振り返りにっこりと笑った。 「でぃーのさんも、ありがとう」 その後、ティーセットを運んできた骸と(綱吉の電話の時点で、運んでいたらしい)山本の寒いやり取りが繰り広げられたが、隼人の「おなかすいた」の一言で全員揃ってのお茶会となった。隼人はうたた寝をしていたせいで昼食のミルクをとりそこねていたらしい。 さらにこの後、自宅に戻ったディーノが危うく自分のプランツ・ドールに殺されそうになったらしいが、それはまた別の話。 9999番を踏まれた紫苑様のリクエスト「プランツごっくんで、隼人が他の人に懐いてしまい嫉妬する山本の話」のキリリク小説です。紫苑様、リクエストありがとうございました! プランツ隼人が懐くのを誰にしようかかなり悩んだのですが、黒山本を笑顔でいなせる大人ディーノさんにしてみました。書いていくうちに天然タラシになってしまいましたけど(爆。/つねみ |