クリスマスプレゼント/前夜



 沢山の人間を殺してきた。沢山の死体を見てきた。
 だから、床に広がる血の海に横たわる己の護るべき主が既に死んでいるのだと、判断するのは早かった。

 死なせてはならない筈の主が死んでいるのに、どうしてこいつらは生きているのか…?

 その矛盾に応え得る結果を導くべく、骸は白い頬に付着した血を拭う事もせず、飛び込んだ相手の懐に手にした得物を突き立てた。



 店の片隅に置かれたソファに座って向き合う二人の間に「どうぞ」と淹れたてのコーヒーを置くと、骸は黙って部屋から出て行った。
 そのプランツらしからぬ所作を目で追っていた家光に向かって、シャマルは呆れたような声を上げた。
「おいおい、いくら見た目がキレイだからって、奴が何者か判ってんだろ?」
「ああ。予想外だったな…なあ、シャマル」
 嘲笑うような台詞にも真剣な返事をする家光の次の台詞を掌を翳す事で制して、シャマルはもう片方の掌で雑に整えられた髪を掻き乱した。
「年の近い友達、が欲しかったんじゃないのか?」
「んー、どうせツナもその内デカくなるからな」
「あいつ、かなり腹黒いぞ」
「そりゃ、お前が育ての親なんだからな」
 余程骸が気に入ったのか、そんなの承知の上だ、と豪放磊落に笑う家光にシャマルはため息をつくしかなかった。


 古くからの顔馴染みで、マフィアの門外顧問を務めている家光から突然連絡があったのは数日前。
「なあ、すぐに売ってもらえるプランツはあるか?」
 聞けば、自分の息子へのクリスマスプレゼントに、と考えているとの事で、数年前にこの親バカから見せられた写真を記憶の中から引っ張り出し、大体の年齢に当たりをつけて「お人形遊び、って歳でもない筈だろ?」と切り返すと、
「あいつ、学校行けないもんだから友達いなくてなあ…留守しがちのおとーさんとしては気になる訳よ」
 粗方の事情を理解しているシャマルは、家光のおどけたような物言いにも父親として息子を思い煩う気持ちを的確に汲み取って、電話口で「しょうがねえなあ」と苦笑交じりにひとりごちた。

 外出先から店に戻ると、留守を任せていた骸といつの間にか訪ねてきていた家光に出迎えられた。
「おかえりなさい、シャマル」
「よお、邪魔してるぜ。早速だが、コイツ連れてって良いか?」

 …問答無用で掻っ攫う気満々の顔のくせに、お伺い立てるんじゃねえよ。


 骸がシャマルの元へやってきて数年…その間、ここにいるプランツ達に一日三度のミルクを与えるのが骸の日課となり、そのついでに覚えたコーヒーの淹れ方は実にシャマル好みだった。そのコーヒーを顔を顰めながら半分程啜ると、シャマルはようやく重い口を開いた。
「お前、プランツについてどこまで知ってる?」
 シャマルの問いに、家光は骸に対して問いかけたのと同じように答えた。
「フツーはそんなとこだな…恐らく、始めは飽くまであくまで観賞物・愛玩物として作られたものだったんだろう。それが、一部では特定の目的を持って作られるようになってきた…兵器として、とかな」
 そして、シャマルが口にしたファミリーの名前に、家光は険しい表情を作り、わずかに身を乗り出した。
「あいつは、そこのボスのボディガードとして作られた。最近のプランツは本来の目的に立ち返って、本当の人形みたいに自分じゃ思うように動けない体も弱っちろいヤツばっかだが、技術が進んだ分情緒面が豊かで滑らかだし『成長』するヤツもいる。あいつみたいな旧式のプランツは頑丈だし思考回路も行動原理も直線的で単純だから、その分特定の目的を果たすにはうってつけだったんだ」
「しかし、あのファミリーは抗争に巻き込まれて壊滅した筈だろ?骸はその頃からいたのか?」
「あの事件の数ヶ月前からいたらしいな…あの時あの屋敷にいて生き残った者は誰もいない。だから、オレにも後から知り得た情報しかない」
 そう前置きして飲み干したコーヒーカップを乱暴にテーブルに置くと、シャマルはソファに背中を預けた。


「ボスの誕生日にファミリー全員が参加してパーティーが開かれていた。そこに敵対するファミリーの先鋭部隊が乗り込んできた。恐らく、ボスは無理でも幹部の首でも取れたら、ってとこだったんだろうな」
 財力にも組織力にも恵まれたファミリーではなく、些か乱暴な手段と強引なやり口で敵を作る一方だったから、襲撃なんて日常茶飯事だったのだろう…だからこそのボディガード、だったのだろうが。
「判っているのは、その時その場にいたパーティーの参加者と乗り込んできた奴ら、全員死んでたって事だけだ…そして、そこに骸一人が残っていた」
 その惨状を発見したのは、パーティーに遅れてやってきた幹部の一人だった…広間を埋め尽くす死体と血生臭い澱んだ空気の中、返り血を滴らせて一人立ち尽くす黒衣の青年に、男は叫び声を上げる事も忘れたという。

 (あんな人形、さっさと始末してくれ)
 他人の血に塗れたまま返品された骸に手を焼いた職人は、メンテナンスを理由にシャマルの元へ骸を押し付けた。
 (もし、こいつが暴走したんだとなると、俺にも手に負えん。悪いが、お前の力で何とか抑えてやってくれんか?)
 作るだけ作っておいて後は責任逃れかよ、と罵倒する言葉を飲み込みつつ、ある意味芸術家である人形職人にこれ以上責を負わせるのは無意味だと己を納得させて、シャマルは骸を引き受ける事にしたのだ。


 些か早口に説明し終えるとシャマルは一旦立ち上がって、奥のキッチンでプランツに与えるミルクを温めていた骸にコーヒーのおかわりを告げた。
 再びソファに腰を下ろすと、家光は肘を突いて組み合わせた両手に顎を乗せて溜息をついた。
「そーゆー事かよ」
「多分、な…」
 どこか痛ましさの滲むシャマルの声に、家光は片頬を歪ませにやりと笑った。
「ますます欲しくなった」
「ちょっと待て…あいつをお前の息子のボディガードにでもする気か?」
「んな訳ねえよ。最初っから言ってるだろ。友達が欲しいんだって」

 骸と過ごした数年間…終始無口で表情を動かす事すらしなかった骸が、今やシャマルやプランツだけでなくシャマルの客達にさえ笑って「どうぞ」とお茶を差し出す事を覚えた。シャマルの影響なのか、さりげない嫌味を交えつつの応酬にも慣れてきた。恐らく、プランツの存在も何も知らない人間ならば、完璧に騙されるであろう。
 だけど…プランツはプランツだ。どんなに技術が進み人間に近づけても、決して人間にはなれない。
 その上、骸は旧式の成人体だから、これ以上成長する事も老い朽ちる事もないのだ。
「あいつは止めろ…プランツが人間の友達になんて、なれる訳ねえんだよ。人形が欲しかったら、他のヤツにしてくれ」
 それに、未だ幼く弱いボンゴレの次期ボスは、対立するファミリーにとっては格好のターゲットになる筈だ…もしも本当に骸が家光の息子を主に選んだら…。
 (再び主を失った骸が暴走する事を恐れるよりも、もう二度と骸を失望させたくない、と思うなんて…)

 額を押さえて逡巡するシャマルに、家光は幾分か重い口調で告げた。
「なあ、シャマル…俺は、ツナに楽しいだけの思い出をくれてやる気はねえんだよ」
 その言葉を聞きながらも目を合わさないまま大きく息を吐き出すと、でも、と家光が言葉を繋いだ。
「あいつならきっと大丈夫だ…あいつが骸の事も幸せにしてやるよ」
 いつものように確信に満ちたその口調にシャマルが顔を上げると、家光はにやりと笑って大きく頷いた。

「プランツは通常自分で主を選ぶもんだが…骸が最初に仕えていた主は、予め決められたヤツだった」
 ココ、を弄られてたんだ、とこめかみを指先でとん、と叩くと、今度は家光が表情を歪めてため息をついた。
「滅茶苦茶しやがって…」
「そいつはオレが解除したから大丈夫だ。今度こそ骸は自分で主を選ぶだろう…友達になるどころか、お前の息子を気に入らないかもしらねえぞ」
 最後の反論、とばかりにシャマルが挑むように告げるが、
「あいつがツナを気に入らない訳ねえよ」
 …自信たっぷりに断言する家光は、やはりどこまでも親バカだった。



 家光と骸が乗った車が屋敷に着いたのは、日付の変わった頃だった。
 黒いコートを翻して闇に沈む屋敷を見上げると、車内でずっと無口だった骸がようやく口を開いた。
「貴方の事は、何と呼べば良いのですか?」
「家光で良い。お前の主人はオレじゃねえからな」
 行くぞ、と骸の背中を叩いて促すと、骸は微かに笑って頷いた。


 二人は神出鬼没の家光専用らしい隠し扉から屋敷に侵入すると、毛足の長い絨毯が敷き詰められた長い廊下を音もなく進み、ツナの部屋の前に立った。
「ここがツナの部屋だ…屋敷の中は、明日ツナに案内してもらえ」
 小声で説明しながらゆっくり扉を開くと、家光は我が子が眠る部屋にそーっと忍び込み闇の中でも躊躇う事なくツナの枕元へと歩み寄って、扉の前に立つ骸を無言で手招きした。
 慎重に近づいてくる骸に、家光は大人1人ぐらいは十分横になれる程スペースの空いたベッドを叩いて、
「クリスマスのプレゼントってのは、朝起きたら枕元に置かれてるのがお約束なんだよ。ツナが目覚めるまでここで待っててくれ」
 そう告げると、また明日な、と手をひらひらと振って部屋を出て行った。


 骸に眠りは必要ない。ただ、シャマルの元へ来てからは、皆と同じように夜は休むようにしていた。
 休むと言っても眠る訳ではないから、目を閉じてただじっとしているだけ。視界を閉ざした事で余計に研ぎ澄まされた聴覚が拾う、風がガラス窓を叩く音や、裏通りの店先で朝まで続けられる陽気な笑い声を聞きながら、夜が明けるのを待つのだ。
 今夜は、自分の新しい主になるかもしれない少年の枕元に横たわって、その幼い寝顔をずっと見ていた。
 夢でも見ているのか、時折目元や口元を僅かに動かしてはまたおとなしくなる。その繰り返し。
 広大な屋敷はしんと寝静まり、聞こえてくるのは穏やかな寝息だけだった。

 夜明けが近づいてきたのか、カーテンの隙間から覗く闇が青い光に変わる頃。
 ふいに睫が震えたかと思うと、瞳がゆっくりと瞬いた…薄明の中、焦点を結ばないままでも枕元の存在に気づいたらしく、
「かぜ、ひく…」
 幼子特有の高い声で囁くと、思いの外強い力で骸の腕を取り、体温で温められたブランケットの中に引きずり込んだ。
 力を入れずともぽきりと折れそうな細い腕が、ぎゅう、としがみ付くように肩に回った。頭を押し付けられた少年の胸元から、パジャマごしに心臓の音が聞こえた。
 とくとくと規則的に脈打つ、生き物の音。生きている証…自分には、ないもの。

 ああ、僕はこの音を護る為にここに辿り着いたのだ、と。

 空から落ちてきたように骸の中にふいに湧き出た思いは、水面を揺らす波紋のように静かに指の先まで染み渡り、体内を巡る血のように骸の体を温めた。
 神に感謝する、というのはこういう事なのか、と…止む事なく溢れる思いに身を委ねるように、ぬくもりに擦り寄って瞳を閉じた。






…骸を幸せにする、っつーのが、プランツシリーズ?の裏テーマです(笑)/わんこ






MENU