その小さき手を



 山本がその店に気づいたのは、本当に偶然だった。仕事で最近この街に来たばかりで、まだまだ知らない道も多い。珍しく仕事が早く終わったその日、山本は今まで見向きもしなかった細い路地に入り込んでいた。
 薄暗い路地にあって、そのショウウィンドウは別世界だ。白いレースを重ねたカーテンに揃えたようなクッション、真ん中に高そうなアンティークの椅子が置いてあり――そこに人形が座っていた。五歳児位の背たけがあり、かなり大きい。さらに人形としては珍しいことに、男の子のようだった。プラチナの髪は細く柔らかで肩口で揃えられ、象牙色の肌に瞳は鮮やかな翠色。全体的に色素の薄い中、その瞳だけが鮮やかだ。
「…綺麗だなぁ」
 アンティークドールの店だろうか?看板の類は見当たらない。
 もう一度彼を見上げると、その翠色の瞳が揺らいだような気がした。
「何か、寂しそうだな…」
 照明の関係か、心なしか潤んでいるようにも見える。物言わぬ彼が、ひどく悲しそうに見えた。話すことが出来たら、それは可愛いらしいだろうに…。
 そこまで考えて、山本は我に返った。
「喋るはずないのにな。また会いに来てやるから」
 ニッコリと笑いかけ、ショウウィンドウの硝子をコツンと叩くと、山本はその店の前を離れた。

 後に残された彼は、その翠色の瞳を白い瞼に隠した。


 その週の土曜日は、久しぶりに仕事が入り込んでこない休日だった。
 山本は友人をボスとするマフィアに所属している。将来の幹部候補でもあるが、組織を動かすような仕事はしておらず、主に対外的な武力を伴う交渉を担当していた。自分を教育した友人の家庭教師は、山本を「生まれながらの殺し屋だ」と評している。その評価のおかげか、ボスの信頼のせいか、山本はほぼ単独で行動する事を許されていた。初めてこの国へやってきたのも、そんな「仕事」の一環だった。人種も貧富も善悪も混沌としているこの街は、それゆえ物凄いエネルギーを感じられる場所でもある。山本はそんなこの街が嫌いではなかった。
 昼過ぎまでゆっくりと自宅で過ごし、太陽が少し傾き始めた時間にジーンズにシャツを羽織っただけの格好で外出する。意外にも料理が趣味である山本は、近所の高級スーパーではなく少し離れた市場へと出かけた。喧騒と熱気を受け流すようにして人ごみを泳ぎ、目的のものを揃えていく。頭の中で献立を組み立てつつ、大きな荷物を抱えて帰途についた。
「…そういえば」
 数日前に不思議な店を見つけたのは、このあたりじゃなかっただろうか。
 そう思った瞬間、山本の足はその場所へと向かっていた。

「よお」
 黄昏時の淡い光の中で、彼は数日前と同じ場所に座っていた。以前と違うのは、服装が変わっているところだろうか?あの時は夜と同じ色のベルベットの上下を着ていたはず…今日は白いセーラーカラーのシャツを着ている。そろえられた膝小僧は頬の色と同じだ。
「…よく出来ているなぁ。アンティークドールって普通間接部分があるもんじゃないの?」
 滑らかな質感まで感じるようなその膝には、もちろん継ぎ目など見当たらない。
 数日前と違って、今日は少し顔を傾けるようにして俯いている。そのせいか、今日は真っ直ぐに視線を合わせることが出来た。
 穏やかな四季のある故郷の、春を思わせるような翠色。薄く差し込んでいる夕日を反射して、不思議な色合いを見せていた。
 美しいその色合いに引き込まれて、しばらくぼんやりと見詰め合っていた。
 ほんの数分程度だったのかもしれない――しかし、背後をバイクが通り過ぎる音で、山本は我に返った。見上げるとすっかり日が暮れて、空が暗くなり始めている。
「ああ、そろそろ帰ろうかな…」
 そう呟いた山本の独り言に、かすかに彼の眉が寄せられた。
 それに気付くことなく、山本は荷物の中から赤い林檎を取り出す。ショウウィンドウの前に置くと、彼を見詰めて笑った。硝子に手を当てて、爪で軽くはじく。
「これ、お前に置いていくな。また会いに来るから。」

 店の前から離れていくその後姿を、彼の瞳が追いかけていった。


 その日は朝から雨だった。この日にようやく仕事が片付いたので、嬉しい気分のまま傘を差してまた回り道をする。ここ数日はターゲットであるこの国の組織の幹部に、ほぼ張り付いて行動を追っていたのだ。時折、彼を思い出しては会いに行きたいと思っていた。
 しかし、薄暗い路地に見慣れたショウウィンドウに座っていたのは、彼ではなかった。ふわふわとした長い金髪の少女を見上げ、山本は知らずため息をついた。
「なんだ…君に会いたかった訳じゃないんだ。ごめんね」
 ショウウィンドウから少しだけ店の奥を覗いて、山本は背を向けてそこから離れようとした。
「男に声をかける趣味はないんだが」
 背後で扉を開ける音がしたかと思うと、少し間延びした男の声がした。
「引き止めろって煩いんでね。ちょっと待ってもらえる?」
 振り返ると、くたびれた白衣に無精髭の男が、やけに人懐こい笑顔で立っていた。

 男はシャマルと名乗った。この店の主人らしい。中に招き入れられると、色々な国の文化が交じり合ったような、不思議な居間に通された。
 黒檀のテーブルに出てきたのは、何故かエスプレッソだった。
「お前さん、何回か店の前に来ていただろ?」
 誰の目にも触れているつもりはなかったのだが、シャマルには知られていたらしい。山本は頭を掻いて恐縮した。
「ショウウィンドウにいた人形が何故か気になって。このところ座っていた人形は、売れてしまったんですか?」
 山本のその質問に、シャマルは意味ありげに笑っただけだった。
「この街に来て、まだあまり経っていないだろ?」
「え?ええ。仕事で来たばかりで…」
「それじゃ、プランツ・ドールって聞いたことあるか?」
「…生きている人形ってやつですか?あれって、都市伝説じゃ…」
 山本の声が何故か小さくなっていく。シャマルの笑顔がすべてを肯定していた。
「その、プランツ・ドールを売っている店なんだ、ここは」
「そそそそそ!」
「そんな、馬鹿な?って言いたそうだな」
 ちょっと待ってろ――そう言い残すと、布を幾重にも重ねたような入り口を抜けて姿を消してしまう。何事かを話している気配があった後、山本を呼ぶ声がした。
 布を掻き分けて次の部屋へ入る。
 そこには、大きなソファに座っている彼が居た。目を閉じて、きちんと座っている。その手の中には、赤い林檎があった。
「プランツ・ドールっていうのは、誰でも手に入れられるもんじゃない。値段ももちろんだが、こいつらは自分の気に入った人間しか相手にしないんだ」
 シャマルの言葉を聞きながら、山本は彼の前に膝まづいた。その小さな手を両手で包み込む。
「気に入らない相手には目もくれない。だから、こいつが気に入った時点で、こいつはお前さんにしか買われる気がなくなるんだ」
 林檎を抱えていた指が、ピクリと動いた。良く見ると、目元にうっすらと赤い色が浮かぶ。
「目を、開けてくれるかな?」
 山本の言葉に、彼は少しだけ俯いた。少しだけ睫毛を震わせると、山本が見入られた瞳が現れる。
「俺の事、気に入ってくれた?」
 彼の目線を捉えるように、下から覗き込む。硝子越しでないその翠色の瞳は、思っていた以上に美しい。山本はシャマルを振り返ると、にっこりと笑った。
「…名前は?」
「隼人だ」
「へぇ、俺の故郷の言葉だね」
 山本は隼人を抱え上げた。吃驚して取り落としてしまった林檎を床に落ちる前に掴むと、山本はその小さな手に戻してやった。
「落とさないようにな」
 隼人は、かすかに頷いた。初めて返してくれた隼人の反応が嬉しくて、山本は思わずその白い頬にキスをした。
 隼人は吃驚したように目を見開いた後、真っ赤になって俯いてしまった。


 その後、まさに目の玉の飛び出るような隼人の値段に驚いた挙句、値切り倒しオマケも付けさせてローンを組んだ山本は、片手に隼人を抱き上げたまま店を出た。
 山本の上着に包まれた隼人の手には、しっかりと赤い林檎が握られていた。






勢い良く書いたので「お前どんだけ獄可愛い思てんねん。」という代物になりました……/つねみ






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