ミッシングリング この街での仕事は本当に久しぶりだった。 オフだったのにもかかわらず急な呼び出しを受け、出向いたボンゴレの本部で、あるターゲットを告げられた。ボスである綱吉は最後まで反対していたが、山本の師匠でもありボスの家庭教師でもある彼は決して譲る事はなかった。 「お前が始末をつけるんだ」と。 狭い路地に入り込んでいくごとに、月明かりすら届かない暗闇が増えていく。追う者と追われる者の違いだろうか――自分の息遣いより、相手の息遣いの方が辺りに響いているように聞こえた。 今回のターゲットは組織を裏切った男だった。丁度山本がイタリアに渡ってきたときに、ボンゴレの準構成員から格上げされて構成員になったばかりの男だ。一緒の時期に新参者として組織に入ってきたせいか、何度かコンビを組まされたり一緒の仕事に参加したりしていた。特別親しいとは思っていなかったが、他人と呼ぶには近しい関係だ。その男は、敵対する組織のスパイだった。このところ、ボスや幹部に対する襲撃が数回起こっていて、ボスの家庭教師は独自にそれを調べていたらしい。 本部でいつものように仕事を伝えられ、すぐにその男の後を追った。直前まで相手に気取られていなかったのだが、間一髪のところで逃げられたらしい。市街地で追いつくと、冷静に乗っていた車のタイヤを撃ち抜いた。車を捨てて逃げ出す男の後姿を、何も言わずに追いかける。的確に袋小路に追い込みながら、山本は手にしている日本刀を確かめた。 山本は、その瞬間はいつも空白だ。目的と目標と手にしている道具しか意識にない。だから、追い詰められた相手が振り返っても、その顔に見たこともないような恐怖を貼り付けていても、何も思う事はなかった。 震える手で撃ってきた弾を、わざと日本刀に当てて避ける。相手はそれで動けなくなった。 無言で目の前に立つと、山本は日本刀を振り下ろした。 本部に戻り報告をすると、綱吉は少しだけ表情を曇らせたが、すぐに笑顔を浮かべた。 「山本が何事も無くて、良かった」 ボスの隣に立っていた彼の家庭教師は、ただボルサリーノのつばを下げて笑っただけだった。 返り血を浴びたスーツは脱ぎ捨て、代わりの服に着替えてから本部に与えられた自室へと向かう。ドアを開けると、大きな黒いソファに座った少年が振り返った。 「急に仕事が入って悪かったな、隼人。もう帰れるから」 最近ではよく喋るようになったというのに、隼人は何も言わなかった。彼の傍にはイタリア語の分厚い本が数冊――隼人と同じくプランツドールである骸とは、仲が良いのか悪いのかいまいちわかりにくいが、こういう本を渡してくるのはおそらく彼だろう。元々出来がいいのか、隼人は最初から難しい本を好んで読むようになった。 自分が「仕事」のときに、隼人がこうやって彼自身のために時間を使っていてくれているのは、正直嬉しかった。 「どうした?」 笑顔で話し掛ける山本を、隼人は不機嫌そうに見上げる。 「拗ねているのか?もう帰るからさ」 隼人の目の前に座り込んで、なだめるように彼と額を合わせた。 その山本の言葉に、隼人は小さく首を横に振る。そして自分の膝に置かれた山本の右手を、小さな手ですくい上げた。 人間のそれより少しだけ体温が低いはずのその手が、山本には何故か温かく感じる。 「ゆびがつめたい」 山本の指に小さく息を吐きかけると、右手で山本の頬を撫でた。 「どこか、いたい?」 綺麗な翠色の瞳が自分の目を覗き込んで来る。 ただ、それだけのことなのに、山本は何故か目の奥が熱くなってきた。何かが溶け出すように零れ落ちそうになるから、山本はそれを瞼を閉じる事で隠す。 「いいや。どこも怪我なんかしていないよ」 また小さく首を横に振るのがわかった。 「している。いたそう」 堪え切れなくなって、山本は小さな隼人の身体を抱きしめた。彼の頭を抱え込んでしまえば、自分の顔を見られずに済むと思ったからだ。 今までの自分の中に何の痕跡もない人間ならば、いつもの通りの自分で居られた。仕事の最中に何も考えが浮かばない、と言ったら「おまえは生まれながらの殺し屋だな」と言ったのはボスの家庭教師だっただろうか。 しかし、今回は少し勝手が違ったようだ。 小さな手はゆっくりと山本の背中に回り、そのシャツを掴んだ。 これは仕事であり、自分で綱吉を助けていこうと決めたことだ。情けは自分自身の命を縮めるだけのこと、今日のことも何の後悔もしていない。それでも、山本は自分の中にあった何かを一緒に切り落としてしまったのだろうかと思った。しかし悲しいという気持ちはどうしても見当たらない。 涙が流れ落ちる事はなかったが、目の奥は小さく痛み続けた。 山本は、自分の両手に抱えられるものだけを、死んでも守りたいと願っている。しかし、そのために何かを既に喪っているのかもしれない。 もし、この両手の中のものを一つでも失ったとしたら、山本は自分を無くしてしまうのだろうと思っていた。 そのミッシングリングを、この小さな彼が持っているのだろうか。 そんなことを思いながら、山本はまるで許しを乞うように隼人の額に口付けを落とした。 山本がちょっと怖い人になってしまいましたが、私は山本ってこういうところがあると思っています。 自分の負っている傷に気付かないからこそ強くいられる、それだけに本当は凄く脆いところがあるんじゃないかなーって。 獄寺はその逆。芯が強いのは獄寺のほうじゃないかと。 個人的には結構気に入っている話です。/つねみ |