雨の日



「おーい、危ないから走ったらダメだぞ」
後ろからかけられた山本の声が聞こえているのかいないのか、少し先を行く小さな後ろ姿は弾むようにぴょこぴょこと動いている。着せられた水色のレインコートに水滴が飛び散り、キラキラと光る。
山本は久しぶりに入った日本での仕事に、初めて隼人を連れて戻ってきていた。一年程前に、香港にあるプランツ・ドールの店にいた隼人と出会い、それ以来どこに仕事に行くときも連れて行くことにしていた。今回、日本への出張を告げた綱吉は、山本の顔を見上げて笑った。
「隼人も連れて行くんでしょ?ついでに親父さんに会ってきなよ」
自分の中ではずっと共にいることを決めていたが、隼人のことをいまだに父親には話していない。どう伝えて良いのか分からなかったし、申し訳なく思う気持ちがないと言えば嘘になる。山本としては、大切に思う二人が辛い思いをすることだけを心配していた。
そんな山本の思いも知らずに、隼人は終始上機嫌だった。雨の中をレインコートで歩くのが楽しいらしく、気を付けていないと走り出してしまいそうだ。それを溜め息をつきながらも微笑ましく見守っていた山本は、彼の黄色い両足の長靴が揃えられた瞬間、嫌な予感に表情を強ばらせた。
「ちょっ、待て隼人っ!」
――バシャン
山本の制止も虚しく、隼人は両足揃えてジャンプすると、思い切り水溜まり中に突っ込んだ。幸い、歩道に出来た水溜まりだったので、泥水という訳ではなかったが、勢い良く跳ねた水は、隼人の周りに派手に飛び散った。
「…はーやーとー」
盛大に跳ねた水は、隼人はもちろん山本のジーンズの膝から下のあたりも濡らしていた。隼人は山本の声に首を竦めると、水溜まりの中で立ち竦む。
「俺は待ってって言っただろ?何で聞かなかったの?」
溜め息混じりの山本の声に、隼人は俯いていた顔を上げる。
「…ごめんなさい」
悲しそうに顔を歪める隼人に対して、山本はもう一度溜め息をついた。いつだって山本は隼人に勝てた試しがないのだ。ポケットからハンカチを取り出すと、しゃがみこんで隼人を傘の中に招き入れる。すっぽりと被っていたフードを外し、その白い頬に跳ねた水滴を拭いてやる。
「まだまだ夜になると寒いんだから。あまり濡れたら風邪ひくよ」
山本の言葉にこくんと頷くと、山本の手にしているハンカチに手を伸ばす。
「ん?ちゃんと拭いてやるから」
山本の言葉に頭を振ると、山本の顔を見上げる。
「やまもとも、かぜひいちゃう、から」
山本は驚いたように二、三回瞬きをすると、必死に言い募る隼人にニッコリと笑いかけた。
「心配してくれるの?」
「うん」
隼人は、山本の手からハンカチを取り上げると、先程自分がそうされたように山本の頬を撫でた。一生懸命に自分を心配してハンカチを使う隼人を、山本は思わず抱き上げた。
――全く、すぐに抱き上げて。熊のぬいぐるみじゃないんですよ?
綱吉のプランツ・ドールにはそうしょっちゅうたしなめられているが、これだけは止められそうにない。隼人の白い手が自分の襟元を握りしめることに、山本はいつも満たされるのだ。

「この街はね、俺の生まれたところ」
「やまもとの?」
右手で隼人を抱き上げたまま、山本はゆっくりと歩き出す。
「あそこが通っていた中学校。ツナも一緒だった」
「いっしょだったの?」
「ん。そこがいつもキャッチボールした公園」
「あ、ぶらんこ」
「明日、晴れたら来ような」
「うん」
山本のする約束に、隼人はいつも嬉しそうに笑って頷く。そして山本はその笑顔を見るといつも、空洞のような胸の奥に温かくて柔らかいものが詰められていくような気がするのだ。
「そして、そこを曲がると…」

竹寿司まで、あと少し。






つまり、オヤジさんに初めて結婚相手を連れてきたときみたいな(爆

あ、そんな目で見ないで下さい…
20080608 つねみ






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