天使の涙



 山本がボンゴレ本部に顔を出したのは、二週間ぶりだ。
 仕事は単独で行う事が多く、しかも出張が多いため久しぶりなのはいつもの事だが、今回は少し長めの不在だった。いつも本部に居るわけではないのだが人当たりの良い山本は、屋敷の使用人や部下達に顔を知られている。いつもは廊下を歩いていると、すれ違う度に親しみを込めて挨拶をされていた。
 ところが、今日はいつもと様子が違っている。誰もが山本の姿を見て一瞬固まった後、慌てて挨拶をしていた。
 その原因は、山本の手の中にいた。

 ――コンコン。
「どうぞ」
 ノックの音に応えると、ドアが開いてよく知った顔が見えて、綱吉は思わず笑顔になった。
「おかえり。ご苦労様だった…って!?」
「完了の報告だけしておいて、戻るのが遅くなって悪かったなー、ボス」
「それは別にいいんだけど…山本?」
 普段は穏やかで、年若い割には落ち着いた物腰のボンゴレのボスは、珍しく目を瞠り口をぱくぱくさせている。
「その子…もしかして」
 綱吉の指した先には、山本に腕に抱かれた小さな男の子。
「隠し子がいたの!?」
「違うって!」

 山本が抱き上げていた彼の身体をゆっくりと下ろすと、山本の右手の人差し指を掴んだまま小さな身体が振り返った。
 翠色の瞳が自分を捉えるのを見て、綱吉はにっこりと笑う。
「…プランツ・ドール?」
「やっぱしツナにはわかるのな」
 綱吉のところに一風変わったプランツ・ドールがいるということを、山本はつい最近知った――もっとも、その彼自体はだいぶ昔から知っていたのだが、ずっと「少し変わったツナのお兄さん」と思っていたのだ。
 一般的にはあまり知られていないプランツ・ドールだが、すぐにわかってしまうのは流石だと山本は思った。
「何となくだけどね」
 座っていたデスクを回り込んで、綱吉は小さな彼の目の前にしゃがみこむ。
 プラチナ色の髪に象牙色の肌をもつ彼は、綱吉のよく知っているドールのイメージとは真逆の印象だ。
「名前は、何ていうの?」
 綱吉が柔らかく笑って彼に問うと、答えるように口を開きかけたがすがるように山本の指を握りなおすと、そのまま彼を見上げた。にこにこと笑いながら二人を見ていた山本は、しゃがみこんで小さな頭を撫でる。
「隼人っていうんだ」
「そう――僕のことはツナでいいよ。よろしくね、隼人」
 もう一度にっこりと笑うと、綱吉はゆっくりと右手を差し出す。隼人は少しだけためらった後、掴んでいた山本の指を離して綱吉の右手を握った。
 隼人と山本が並んでソファにかけると、綱吉は自分のデスクに戻り手元の書類に目を落とした。
「…で、山本。帰ってきて早々申し訳ないんだけど…」
「ああ、ちゃんと覚えているって。だから今日までには戻ってこないとって思っていたんだよ」
 実を言うと、山本には以前から決まっていた出張が入っていたのだ。
「隼人がまだちょっと元気がないんで、ギリギリまでむこうにいたんだけど。予定通り今日行ってくる」
「ごめんね」
「いーって…で、ツナ、頼みがあるんだけどさ」

「で、彼を置いていったんですね」
「まさか交渉の席に連れて行くわけにはいかないだろ?」
 何故か綱吉は、目の前にいる自分のプランツ・ドールに責められているような気がしていた。
「いくら敵対しているファミリーじゃないとはいえ、まだ同盟も結んでいないし。それに今回の親書はその打診だから、山本に行ってもらったんだよ。」
 冷たい表情で見下ろしてくる骸から、思わず目線を外す。その様子を見て、骸は溜息を一つ落とした。
「まあ、もうしょうがないですけどね。――彼の昼食はまだなんでしょう?」
「うん。午前中に来たばかりだし、多分そうだと思う」
「…一応、連れて行ってみますよ」
「うん?」
 二人の会話を少し心配そうに聞いていた隼人は、骸が目の前に来るととたんに俯いた。
「僕は骸といいます。貴方と同じプランツ・ドールですよ。僕がミルクを温めてあげますけど、いいですか?」
 骸を目の前にして、隼人は何故か少し身を固くしている。それでも最後の問いかけにはかすかに頷いた。
「いい子ですね」
 骸は目を細めて笑うと、隼人の手を引いて立たせた。
「ツナは昼食どうしますか?食堂まで来ます?」
「うーん…ここに運んでもらっていいかな」
「わかりました。厨房に行くので伝えておきますね」
 黒と白の一対が部屋を出て行くと、綱吉は不思議そうに首をかしげた。
「隼人…怖がっているのかな?」

 厨房で温めたミルクを片手に持って、骸は隼人に歩くペースを合わせてゆっくりと廊下を歩いた。やがて大きなサンルームのある部屋につくと、そこのテーブルの上にマグカップを置いた。
「一人で座れますか?…隼人?」
 返事がないのが気になって骸が振り返ると、隼人は部屋に入ったところで立ち止まったままだ。
 その目線の先には、大きなグランドピアノがあった。
「…ああ、やっぱりそうなんですね。…隼人」
 二回目でようやく骸に呼ばれていた事に気付き、隼人は慌ててサンルームに駆け込んできた。椅子の座面とテーブルに手をついて、なんとか自力で座る。骸はその様子を笑いながら見ていたが、マグカップを隼人の前に置いてやり、目の前に座った。
「飲めますか?飲めないならそのままで構いませんよ」
 困ったような顔をしてマグカップを見ていたが、隼人は手を出す事はなかった。
「仕方ないですよね。まったく、僕達を誰にでも預けられると思ってもらったら困ります」
 午後の日差しが、硝子を通して柔らかく降り注ぐ。
 骸のその言葉に、隼人はようやく骸を真っ直ぐに見返した。プランツ・ドールは自分が気に入らない相手だと、反応を示すことすらしない。まして、与えられたものを口にするなど、あり得ないのだ。こうして、意思疎通が出来ているのだから、まんざら気に入られていないわけではないらしいのだが。
「今日来たばかりの場所で、それは無理というものですね」
 あっさりと引いたことに驚いたのか、隼人の目が見開かれる。
「…それに、自分の思っている事はちゃんと伝えないと、いくらマスターでも理解してもらえませんよ。本当は、もう喋れるんでしょう?」
 隼人はびくりと肩を揺らすと、そのまま俯いて固まってしまった。
「おおかた喋るタイミングを失ったっていうところでしょうが、もっと素直になった方がいいですよ」
 ――後悔しない様に。
 骸は最後の一言を飲み込んだ。
 自分の失態を隠すように人差し指で自分の唇を撫でると、目を細めて笑う。
「…きっと山本は、気が利く割には鈍感ですからね」
 その一言に、隼人は思わず顔を上げた。
 そして笑っている骸を見て、隼人は初めて笑顔を見せた。

 午後、隼人は骸が持ってきたいくつかの本の中から分厚い歴史書を選んで読んでいたが、日が暮れたあたりから落ち着かなくなってきた。手元の本を眺めている振りをしているが、窓の外を眺めたり、ドアを気にしたりしている。その様子を見ながら、骸はわざと気付かないフリをしていた。
 ――早めに出発したし、いくら島外とはいえ親書を持っていくだけだから、そう遅くなるとは思えないのですが。
 山本に限って何者かに妨害されたとは考えにくい。そういった意味も含めて彼が選ばれたのだ。
すっかり真っ暗になった夜空に、サンルームから細い三日月が見えるようになった頃、隼人は頁を捲るのすら止めてしまった。小さく唇を噛んで、俯いている。伏せられた睫毛が水分を含んだように艶やかに光っている。
 ――そろそろマスターに確かめてみましょうか。
 そう思って、骸が小さく溜息を落とした時だった。
 俯いたまま固まってしまっていた隼人が、突然弾かれたように顔を上げた。窓の外に目線をやっているが、何かを見詰めている様子ではない。大きく見開いた翠色の瞳は、潤んで小さく光を反射していた。
 ガタッ
 膝に置いていた本を床に落として、隼人は部屋から駆け出してしまった。
 その小さな背中を見送りながら、骸は今度こそ大きな溜息をついた。
「遅刻した理由は後でゆっくり聞きましょうか。それにしても、流石‘神の耳’ですね」
 隼人の廊下を駆け抜ける足音が聞こえなくなっても、骸の耳には静寂しか感じられなかった。

 サンルームのある部屋から正面玄関へ至る廊下を、隼人は小さな足音を立てて走りつづけた。辺りには彼の足音しか響いていないのだが、隼人の耳にははっきりと聞き覚えのある音が聞こえていていた。
 転がり込むように玄関ホールにたどり着いた瞬間、正面の扉が開いた。
「…っ」
「隼人!?」
 広いホールに小さな隼人の姿を見つけ、吃驚した山本は思わず立ち止まってしまった。その山本の足にぶつかるようにして隼人は駆け寄り、小さな手を伸ばして抱きついてきた。
 スラックスを握り締め、俯いている。
「ちょっ…どうかしたのか?隼人?」
 山本は慌ててしゃがみ込み、隼人の顔を覗き込もうとする。隼人は首を振ってそれを嫌がったので、仕方なく山本は隼人を胸の中に抱き込んだ。
「何処か痛いのか?それとも、苦しい?」
 握り締めていた手を山本の首に回して、隼人は首元に顔を埋めた。
「…ゃ、ま…もと」
 耳元で聞こえた小さな声に、山本は隼人の背中を撫でていた手を思わず止めてしまう。
「……ぇ?」
「ぃな…く、なった…かと…」
「隼人…声が…」
 ゆっくりと肩に手を回して顔を上げさせると、潤みきった翠色の瞳からぽろぽろと雫が零れ落ちた。
 もう一度、隼人を胸に抱きこんだ山本は、零れ落ちたその雫が床にあたって硬質な音を奏でたのに気付かなかった。

 山本に抱きしめられるうちに安心してしまったのか、隼人はその腕の中で寝息を立てている。その表情は先程の切ない泣き顔からとても穏やかなものへ変わっていた。
 しかし、山本の現状はとても穏やかなものではない。
「――ったく、こんなに小さな子供を泣かせるなんて、酷い男ですね」
「…面目ない」
 ――遅くなるとは連絡してあったんだけど、という言葉はとりあえず口から出さないでおく。
「骸もその辺にしておいてあげてよ」
 綱吉のとりなしに、骸はとりあえずその矛を収めることにしたようだった。
「いずれにせよ、もうちょっとプランツ・ドールのことを知ったほうがいいですよ。この街にある店を教えますから、今度行ってみてください」
「え?この街にもプランツ・ドールがいる店があるのか?」
「店主はいいかげんでちゃらんぽらんなので、不定期にしか開いていませんけどね」
 骸は何故か鼻の上に皺を寄せて、面白くなさそうに言い切った。
「……そういや、さっき隼人が泣いた時に、これが落ちてきたんだけど」
 山本の手の中に、直径8ミリくらいの翠色の石が2つあった。綱吉が手にとって光に透かしてみると、早春の翠色の中に光の加減で深い紅がちらちらと見える。
「骸…これって…」
「天使の涙、ですよ。」
 あまり感情を表に出さないプランツ・ドールは、涙を流すとそれは世にも珍しい宝玉となるとされていた。それぞれのプランツ・ドールの個性を表すようにその色は様々で、その希少性もあって恐ろしい程の高値になるという。
「そうか…僕、初めて見たよ」
「そうでしょうね」
 感心したように呟く綱吉に骸がそう答えると、何故か綱吉は慌ててその宝石を山本へ返した。
 手の中でそれを転がしながら、山本はにっこりと笑った。
「ま、もう増える事は絶対にないと思うけどな」
 山本は隼人の涙を手の中に隠し、その白い頬をそっと撫でた。


「神の耳?」
 不思議そうに聞き返す綱吉に、骸は頷いた。
 寝入ってしまった隼人を抱き上げ、山本は二人に見送られながら帰っていった。その後、骸と綱吉は自室へ戻り、テーブルを挟んで座っていた。二人の目の前にはワイングラスとカフェオレのカップがある。
「隼人ですよ。サンルームにいたんですけど、おそらくそこから玄関につける山本の車のエンジン音を聞いたんだと思います」
「あそこから!?」
 広大なボンゴレの屋敷のプライベートなエリアにあるサンルームは、当然山本が車をつけた表玄関からはだいぶ距離がある。当然、玄関先で何が起ころうとも普通であったら聞こえる筈が無い。
「プランツ・ドールには、特殊な目的や技能を持って作られる個体もあるんですよ」
 そう言った骸を直視出来なくて、綱吉はさりげなく目線を外した。
「よく知られているのは歌を歌うドールなどですが…隼人はおそらくピアノを弾く事が出来ますよ。」
「だから耳がいい?」
 よく出来た生徒を誉めるように、骸は綱吉の頬に指先を滑らせた。
「聴覚が異常に鋭いはずです。それは自分の目的とする音だけでしょうけどね。彼が本気で音楽を聴いたら、楽譜なんて必要ないでしょう。もっとも、欠点が一つありまして」
 骸の指から逃れるように身を捩ると、綱吉は骸を見遣った。
「欠点?」
「…わかりませんか?」
 骸は綱吉の柔らかい頬を両手にはさみこむと、吐息を感じる距離にまで顔を寄せた。
「まだ六鍵も指が届かないのに、ピアノソナタなんて弾けませんよ」
「…む、むくろ…」
 この場に及んで逃げを打とうとする自分のマスターを許さず、骸はその唇に掠めるようなキスを一つ落とした。






2007年 ホワイトデー企画で、私のお題は 「プランツごっくんの涙」でした。隼人がやたら可愛いのは私の趣味です(爆。/つねみ






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