静かな夜



部屋の鍵を開けても、玄関先に顔を出すなんて滅多にない。最近のお気に入りの昼寝場所は、寝室のベッドの上――今日もそこで我が物顔で寝ているのだろう。
「ただいま」
暗い部屋の中、気配を感じさせないソイツに向かって、俺はとりあえず一声かけた。

俺が手に入れた匣の一つからから出てきたのは、嵐の赤い炎を持った山猫だった。戦闘時は小型の豹並みの大きさになり実に頼もしい相棒なのだが、コイツは何故だか匣に戻るのを徹底的に嫌がった。匣に戻る事に抵抗する奴なんて、全く聞いたことがない。最初は散々引っ掻かれたり噛みつかれたりしながら戻していたが、そのうち好きにさせることにした。放っておけば勝手気儘に過ごしているし、それに普段はあまり死ぬ気の炎を与えていないせいか、普通の猫サイズになるからだ。これがデカイままなら邪魔くさいので炎を断ってでも収めるのだが、小さくなるならまあいいかと思ってしまった。食事はするが食べなくても死ぬことはないし(匣に戻るだけ)、何故か食べても排泄することもない。山本と二人で暮らしているとはいえ、任務でお互いにすれ違ったまま数週間家に戻れないこともある俺達にとっては、都合のいい奴だった。

今も山本は三日前から国外に出張している。出発する日の朝、一緒に食事をしているときに何やら説明していたが、はっきり言って俺はほとんど聞いていなかった。山本は短期の出張の時は、冷蔵庫一杯に非常食を作っていく。その説明だったのだが、どうせ冷蔵庫にメモを貼り付けて行くので、俺は毎回聞き流しているのだ。昔は暗い部屋に戻るのが嫌で仕事に没頭し、その非常食をよく駄目にして文句を言われたのだが、最近はそういう事はなくなった。
――コイツのお陰で、非常食が腐ることがなくなったなー。
膝の上で寝ているソイツの背中を撫でながら、山本が嬉しそうに言ったことがある。実際その通りなのだが、俺は腹立ち紛れに山本の頭を殴ってやった。
ジャケットを脱ぎネクタイを緩めた姿でキッチンに入る。冷蔵庫のメモを見ながら適当に取りだし、レンジに放りこむ。明日には山本が戻って来る予定になっているので、冷蔵庫の中身はほとんど食べ尽くしてしまった。ワインを開けてグラスを傾けていると、微かな音が聞こえた。
“にょおん”
足音もたてずにリビングに入ると、奴は一声啼いた。
「匂いにつられたか?お前も食べるか?」
歩く途中で前肢を揃え、大きく伸びをする。聞いているのかいないのか、水の入った容器に顔を寄せて舐め始めた。
山本が用意していた猫缶を皿に盛り付けると、水の隣に置いてやる。
――チン
軽い音がして、自分の食事が温まったようだ。レンジから出すと、トマトとチキンのいい匂いがした。ダイニングにそれを運び、いくつかの皿を並べていく。餌の匂いを嗅いでいた奴が尻尾を揺らめかせると、ぐっと首を持ち上げた。くんくんと匂いを嗅ぐように鼻を動かす。俺がナイフとフォークを並べる時には、奴は足音もたてずにテーブルに飛び乗って来た。コイツは俺達が食事をするときはいつも、テーブルの上に乗ってくる。そして何を食べているのかを確かめるように顔を近付けて匂いを嗅ぐのだ。
「何か食べるか?」
チキンのトマト煮に興味を示しているようだが、あいにくこれにはタマネギが入っている。普通の猫じゃないのだから気にする必要はないが、なんとなくタマネギを食べさせていなかった。
「それは駄目だぞ」
首を一撫ですると、嫌がるように首を振る。山本が触るとこんな仕草は絶対にしないので、俺は溜息をついて笑った。

シャワーを浴びてしばらく本を読んでいたが、奴は俺のすぐ側に座って目を閉じていた。時折耳や尻尾を動かして、落着く所を探すように身体の向きを変える。そうやって黙って過ごしていたが、日付けが変わる辺りで俺は寝室へ向かうために立ち上がった。すぐ隣で動いたせいか、奴は目を開いて俺を見上げてくる。
「そろそろ寝るぞ」
そう言って本を置いて寝室へ向かう俺の後ろから、奴は黙って付いてくる。広いベッドに座ると、奴も上がって来た。山本もいるときはリビングに居座ったままで寝室についてくることはない。奴は俺の足元のすぐ隣に座ると、前肢を使って数回シーツを交互に押さえ付けた。その仕草は猫そのもので、俺はいつも不思議な気持ちになる。
やがて満足したように身体を横たえると、すぐに丸くなって目を閉じてしまった。
「おやすみ」
部屋の灯りを落して、自分もシーツに潜り込む。足のすぐ横にある重みが心地よくて、俺もすぐに眠気が襲ってきた。明日には山本が戻ってくるはずだ。

――そうしたら、お互いに魚を食わせてもらおうな。






私と兄宅のツンデレ美人三毛猫(♀)とのリアルな過ごし方です(爆。/つねみ






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