桜の樹の下で 広大な敷地を持つボンゴレの本宅は、その屋敷に相応しい見事な庭を持っている。英国風の庭園や美しい薔薇園は勿論、屋敷のほど近くにはイタリアには珍しい日本庭園もあった。天然の岩や築山を配し、灯籠や錦鯉のいる池まであり、かなり本格的なものだ。この庭園が造られたのは、今日就任式を迎えた年若いボスがイタリアに来てからである。四季のはっきりしている日本と違い、一年を通して温暖な気候であるシチリアにあって、その日本庭園は季節の移ろいを感じることが出来ると評判だった。 ――庭師の苦労が目に見えるようだな。 シャマルはそんな事を思いながら、その日本庭園へと入っていった。いつもよれよれの白衣を着ている彼も、今日ばかりはブラックスーツで身を固めている。ファミリーというわけではないが、ボンゴレの関係者でもあるので、当然のように就任式にも呼ばれていた。 辺りを見回して自分を呼び出した本人を捜すと、すぐに見つけることが出来た。庭園の一角にある染井吉野がまさに満開に咲き誇っていた。 「よお、呼び出して悪かったな。」 わざわざ紅い緋毛氈をひいてその見事な桜の下に陣取っているのは、今日の主役の一人、の筈だ。 「ボンゴレの門外顧問が、こんなところで呑気に花見してていいんですか?」 シャマルの言葉に、家光は笑って手にしていた枡を上げた。 「門外だからいいんだよ。それに今日の主役はツナだろ。」 それでも、一応ブラックスーツを着ているのだから、本当に就任式に出る気が無いのかはわからない。ボンゴレファミリーを違う面から支えているこの男は、実に見事な親馬鹿でもある。 シャマルは肩をすくめて、自分も靴を脱いだ。 「ま、とりあえず飲めよ。」 「はあ、頂きますけどね。」 緋毛氈には、日本酒の一升瓶と枡がいくつかしか置いていなかった。手にした枡に家光が酒を注ぐと、ふわりと芳醇な香りが鼻をかすめた。 「まあ、ここにいるのは、こっちで桜を見ることが出来るのはこの時期だけっつーのもあるけどな。」 そう言って、家光は目を細めて桜を見上げる。シャマルはつられるように桜を見上げた。抜けるような青い空をバックに、白い花弁が透けるようだ。 「そんなもんですかね。」 シャマルも一時期日本で過ごしたことがある。その時に「花見」という行事も知っていたが、それは酒を飲んだり宴会をしたりする行事なのだろうと思っていた。しかし、日本人にとってはいささか違う思いがあるらしい。何故か「桜」という花は、日本人のメンタリティに深く根付いているようだ。 春を待っていたように一気に咲いて、潔く散っていく…自分が知っている日本人達にどこか似ているところがあるように思った。 「待たせてすまなかったな。」 不意に響いた声に、シャマルは弾かれたように振り返った。そこには満面の笑みを湛え、山本の父である剛が立っていた。いつもの板前の格好をし、手には大きな木製の箱のようなものを持っている。 ――全然、気配を感じなかった。 決して油断していたわけではない。この世界に長く生きていて、完全に気を抜くことはありえないことだ。殺し屋として名を馳せているシャマルが、声をかけられるまで全く気付かなかったのだ。 シャマルは、自分の背中を冷たいものが流れるのを感じた。 ――さすが、山本の師匠、だな。 当の本人は、笑顔のまま持ってきた箱の中から手早く料理を出している。 「おお、剛っさん、すげーな。豪華じゃねえか。」 「ああ、市場に連れて行ってもらったときにいい鯛を見っけたからな。こんな立派な鯛だから、捌くのも気合はいったぜ。」 家光はいそいそと箸を手にとると、早速刺身に手をつける。その他にも酒の肴がいくつか並んでいた。 「どうだい、シャマル先生も食べねえか?」 「はあ、いただきます。」 箸と小皿を渡されて、シャマルは毒気を抜かれてしまった。鯛が美味しそうなのは確かなので、ありがたく頂くことにする。 「んまいなー、シャマル。」 「そっすねー。」 「そうかい?そりゃさばいた甲斐があったってもんだ。」 そんなのんびりとした会話をしながら、仲の良い様子の二人を眺めた。イタリアンマフィアの門外顧問と、日本の寿司職人の間にどんな関係があったのだろう。 シャマルは、ふと浮かんだそんな疑問を、思わず口に出してしまった。 「お二人はどこで会ったんすか?」 剛は笑って枡を口につけただけだった。家光は頭の後ろをがりがりと掻きながらあさっての方向を眺めている。そんな二人の様子を見て、シャマルも頭を掻く。 「あ、いや、答えなくても…」 「いや、別に隠している事じゃねぇんだ。――そうだな、昔一度だけ、困っていた時に剛っさんに助けてもらったんだよ。」 ごく軽い口調で家光は答えたが、シャマルはそこまで聞いてなんとなく思い当たる事があった。 ボンゴレの先代が就任する時にも、後継者争いがありボンゴレの内部は荒れた。おそらくその時の事だろう。先代が就任したすぐ後に、家光が門外顧問になったはずだ。 「まさか今、その剛っさんの息子がツナを助けてくれるようになるとは思わなかったけどな。」 「なに、あいつもまだまだ半人前よ。鍛えてやってくれ。」 そう言って剛は笑った。 「シャマルんとこのもだぜ。先代のところに来た時は、とんでもねぇクソガキだったけどな。」 「…俺のところのって…」 「シャマル先生、父親みたいなもんだろ?」 二人に能天気な返事を返され、シャマルはがっくりと肩を落とした。 「うわ…父親っていうのは、ちょっと…」 「まあまあ。」 落ち込んだ様子のシャマルに、剛は笑いながら酒を勧める。 「まあ、いいですけどね。」 小さい頃から知っているだけに、親代わりとまではいかなくてもそれなりに構いたくなってしまう。そういわれてもしょうがない部分があるのは確かなのだ。 「…シャマル、あの人は来たのか?」 「いいえ。自分には相応しくないだろうって、それだけでした。」 「そっか。まあ、しゃあないか。」 家光の言う「あの人」とは、ビアンキや獄寺の父親の事だ。マフィア内の権力闘争に破れ一時期落ちぶれていたが、最近またファミリー内での地位を上げてきていた。同盟ファミリーでもあり、実の息子が10代目の守護者にもなっているのだから、就任式へはもちろん招待されているはずだ。 「気にすることはないって言ったんすけどね。自分はボスじゃないからって。」 「そういうところ、あの人は固いなー。妙に固いところは息子もそっくりだぜ。」 心地よい風が吹き抜け、桜の花びらがひらひらと舞い落ちてくる。家光は手酌で枡に酒を注ぎ、剛は黙って桜を見上げ、シャマルは、自分の持つ枡酒に浮かんだ白く可憐なそれを眺めていた。 「親の贔屓目を差し引いても、ツナはいいボスになると思っている。歴代のボスとは違った意味でな。まあ、守護者も含めてまだまだなんだけどよ。」 「…そ、っすね。」 三人の間に、穏やかな沈黙が流れた。 しばらくすると風に乗って多くの人間が動く気配が聞こえてきた。この日本庭園は屋敷の近くにあるためだ。 シャマルが腕時計を見ると、もうそろそろ会場に向かった方がいい時間になっていた。二人に声をかけようと振り返ると、何故かにっこり笑っている家光と目が合った。 「そういや、お前さんを呼び出した用件を思い出した。」 「…は?用件あったんすか。」 「何のために呼び出したと思ってるんだよ。」 「え…っと、保護者会?」 それを聞いて、剛が大笑いしていた。 「んなわけないだろ。一応、用件っていうのがあったんだせ。」 唇の端を上げてにやりと笑ったその顔に、シャマルは非常に嫌な予感を感じてた。 「シャマル、お前さ。俺の後を継いで門外顧問やらね?」 「…は!?」 「俺もさー、息子がボスになったし、そろそろ引退しよっかなーって思ってさ。」 「おお、だったら日本に帰ってくるんだろ?奥さんもいるしな。」 「そりゃもちろん!そしたら剛っさんの店に行くよ。」 「おう!」 「ちょっと待て―!!」 叫んだシャマルを家光と剛が振り返った。 肩で息をしているシャマルを、人のよさそうな笑顔で見ている。 「別に返事は今日じゃなくてもいいぜ。」 「シャマル先生なら安心だな。」 そんな二人ののんびりとした台詞に、シャマルはもう一度肩を落として溜息をついた。 2007年 お花見企画 ノリで書いたけど渋すぎて潤いがない(爆。/つねみ |