光の庭



誰もいない、デスクだけが並ぶ部屋は、授業中の職員室のように静まり返っていた。
いつもならファイルや資料がうず高く積み上げられた獄寺のデスクも主不在の今はすっきりと片付けられていて、デスクの横に引っ掛けられたカレンダーが前月のまま寂しく揺れていた。
「あれ?山本、来てたんだ…」
執務室のドアが開いて姿を見せた綱吉の顔は明らかに疲弊していて、「右腕」不在の影響を伺わせていた。
「ああ、一応オフにしてたんだけどな…」
獄寺の気配を辿るようにデスクに指先を這わせる山本の横顔も疲労の影が濃く、綱吉は一瞬だけ痛ましげな視線を向けたが、振り切るように力なく笑顔を浮かべた。
「こっちはもう大丈夫だからさ…山本もずっと忙しかったんだから、今日ぐらいはゆっくり休んでよ」
ね?と念を押すように首を傾げる綱吉に、山本は窓の外に視線を向けて笑顔で応えた。
「折角出てきたんだし、あいつに逢ってくかな?…庭園のバラ、貰って良いか?」
あいつが好きだったからな、と呟く声に綱吉ははっとしたように顔を上げて大きく頷くと、涙の滲む瞳を細めて「庭園ごと持っていっちゃって良いよ」と笑いかけた。


真っ白いバラを1本だけ手折り、屋敷の片隅にある庭園を抜けて奥の木立に足を踏み入れる。木漏れ日が緑に濃い陰を落とす足元から、ぱきり、かさり、と乾いた音が聞こえた。
木立が途切れて、そこだけ光が降り注ぎ柔らかい緑に染まる草葉の上に膝を突くと、手にしたバラの花びらに唇を寄せ、木の根元にひっそりと置かれた石碑の前に捧げた。
「久し振り、だな…」
目を細めて囁きかけると、柔らかな毛並みを慈しむような手付きで無機質な石を撫でた。
「なかなか逢いにこれなくて、ごめんな。ここんとこ、ずっと忙しくてさ…ツナも頑張ってるよ」

ちゃんと、見守っててくれよ……なあ、隼人。

頭上を羽ばたく鳥の羽音と枝葉の揺れる音が、山本の呟きを掠めた。




「……てめえ、その呼び名はやめろって言っただろーがっ!」
思わず叫んでしまった後で、気配を殺して背後に近づいたのが台無しだと内心舌打ちするが、山本は気づいていたのか大して驚いたような素振りも見せずに、ゆっくり振り返るといつもの鷹揚とした口調で答えた。
「よお、おかえりー。久し振りだなあ」


山本の長期出張は珍しくもないが、自他共に認めるボスの右腕として辣腕を振るう獄寺が長期に渡りボンゴレ本部を空けるのは珍しい事だった。今回の任務は現地で法務上の解釈・確認を取りながらの交渉がメインだった為、獄寺が行かざるを得ない状況だったのだが、獄寺の抜けた穴は綱吉の予想以上に大きく、猫の手でも借りたい勢いで山本に助けを求めたものの、元よりデスクワークを不得手とする山本で対応しきれるものではなく…。
「…もう二度と、獄寺君に長期出張はさせられないなあ」
出先から戻って真っ先に顔を出した獄寺から手渡された契約書を眺めて、綱吉は困ったような笑みを浮かべた。綱吉の負担を少しでも軽くし、獄寺に心配かけさせないようにと、苦手なデスクワークにも付き合ってくれた山本には言えなかったが、
「正直言って、山本のおかげで仕事増えちゃったようなものなんだよね…」
山本が上げた稟議書を校正しつつため息を吐き出すが、そんな憂いも今日までだ。
「さてと、これ片付けたら、オレも久し振りに隼人に逢いに行こうかな」
庭園のバラの下でよく体を丸め昼寝をしていた猫の姿を思い浮かべ、綱吉は小さく笑った。


数ヶ月前、使用人の誰かが通勤途中で拾ってしまった、という痩せ細って薄汚い仔猫は、綺麗に洗われ食事と温かいベッドを宛がわれ、程なくボンゴレのアイドルとなった。その小さな体を覆う見事な白銀の毛と透き通った翠の目に、誰もが守護者の1人でありボスの右腕でもある男の姿を思い浮かべたが、流石に本人を目の前にしてそれを口にして、あまつさえ同じ名前で呼ぶようなツワモノは山本以外にはいなかった。
「だってさあ、本当にお前に似てたじゃねえか…好き嫌いが激しくて、ツナにはよーく懐いてたのに、オレには素っ気無かったしなあ…」
そのくせ、たまーに甘えてくるとこまで、お前そっくり。
続けた台詞を言い終わらないうちに獄寺に後頭部を思い切り叩かれるが、その手首を逃さず引き寄せると、獄寺の体を抱き込んだまま草原の上に寝転がった。
「何しやがる、この馬鹿力っ!」
起き上がる為に手首も突けない程きつく抱き締められて、その指は草葉を掴む事しか出来なかった。緑の匂いが濃く立ち上り、どこか懐かしいその匂いに目を閉じると、頭を押し付けられた山本の首筋から確かな拍動がこめかみに伝わってきた。
「良かった…ちゃんと生きてるな」
マボロシじゃないよなー、なんて溜息交じりに呟く山本に、それはこっちの台詞だ、と内心ぼやいてみる…山本が危険な任務に赴くたび、怪我を負って帰ってくるたびに、胸潰れるような思いをしているのを、少しは思い知ればいい。

どんなに大切にしていても、愛していても、命はあっけないものだと、あの仔猫が教えてくれたのだから。

ゆるゆると触れてくる硬い掌も、スーツ越しでも伝わる鼓動も、耳朶に触れる吐息も声も全てが確かな重みを持って獄寺の中に染み渡り、込み上げる愛おしさを誤魔化すように山本の肩先に頭を擦り付けた。






たまには普段書かないものにチャレンジ!と、思ったものの挫折しました(爆)
2007/11/23/わんこ






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