Hallelujah



心地よい微睡に身を委ねながらも、わずかに覚醒した意識で今日がオフである事を確認し、山本は目を閉じたまま口元をかすかに引き上げた。
更なる惰眠を貪ろうと傍らにある筈のぬくもりに腕を伸ばすが、掌に触れたシーツの冷たさにぱちりと目を開ける。
「…獄寺?」
身を起こして周囲の気配を探るが、物音ひとつ聞こえない。ベッドから立ち上がろうと枕元に手をついた時、一枚の紙に気づいた。
「何だ、コレ?」
拾い上げた紙を目の前にかざす…見覚えのある手書きの記号の羅列は、目覚めたばかりの頭には些かキツいものがあったが、
「もしかして、バースディカードのつもりか?」
今更照れなくてもなあ、なんてにやにやしながら、獄寺に無理矢理教え込まれたG文字で描かれたメッセージを解読すべく、一文字ずつ拾い上げていく。
「ええと…ゴ・ク…あ、多分コレは『獄寺』だな。次は…ハ・ヤ・ト・ハ・ア・ズ・カ・ツ・タ……はあ?」

『ゴクデラハヤト ハ アズカッタ  カエシテホシカッタラ ボンゴレホンブ へ イケ』

「…今日は4月24日だよな?今更エイプリルフールでもないよな?」
夢か何かの間違いか?と、しばし己を問いただしてみるが、あれこれ考えるよりも体を動かす方が得意なのは多分生まれつき、だ。
「…どこまでも行かせていただきます」
脅迫文で始まる誕生日なんて、ろくでもねえ。



「山本、誕生日おめでとう。今日は休みじゃなかったの?」
取り敢えず指示された通りにボンゴレ本部へ赴くと、執務室から出てきたツナが小さく笑いながら首を傾げた。
「あ、ああ…ちょっとヤボ用で」
珍しくはぐらかすような曖昧な口調の山本に、ふうん、と気のない返事をすると、ツナは「ちょっと待ってて」と再び執務室へと消えた。

どう考えてもアレは獄寺本人が書いたとしか思えず、自作自演の狂言誘拐でもあるまいし…となると、考えられるはただひとつ。
(…夫婦喧嘩して奥さんに家出された旦那って、こんな気分なんかな?)
アパートからここに来るまでに何度も反芻した、昨夜の会話を思い出す…最近獄寺はやけに忙しそうで休みの予定も立てられないような状況だったから、勝手にバースディ休暇を申請していた山本も遠慮して、催促するような事は何も言わなかったのだ。
(オレも休み取れたから…)
日付をいくらか超えた頃、ようやく帰宅した獄寺はそれだけ告げると珍しくスーツを着たままソファに倒れ伏していたから、苦笑しながら着替えを手伝う山本も何も言わずに、おとなしく獄寺を抱き込んで眠りに就いたのだ。

「…怒らせるような事、したっけな」
むしろ、疲れている獄寺相手に無理矢理コトに及ばなかった自分を褒めてもらいたいぐらいなのだが…何度目になるか判らないため息を吐き出すと、執務室の扉を開いたツナの後ろに立つ気配に気づいて顔を向けた…が。
「…ランボか」
「お久し振りです、山本氏。誕生日おめでとうございます」
これ、プレゼントです!と、すっかり成長したランボの両腕にも収まりきらない程の大きな木箱を手渡されてその重さに一瞬戸惑うが、明らかに落胆した表情を見せた事を申し訳なく思いつつ苦笑いを浮かべた。
「サンキュ…っと、コレ何だ?やけにデカいけど…」
「マグロです。今日、パーティーだって聞いたんで、山本氏に料理していただこうかと…」
「え?それ、間違ってる…」
ランボの台詞に慌てて割って入るツナに、山本も首を傾げると、
「人の話はちゃんと聞けよ、アホ牛」
気配を感じさせないまま突然聞こえた声に3人ともびくりと肩を震わせるが、
「リボーン、びっくりさせないでよ」
「よお、小僧。『パーティー』って何の事だ?」
即座に建て直しリボーンに向き直った2人と対称的に、ランボ1人が固まったまま動かない…否、動けなかった。
「てめえらが緊張感なさ過ぎるんだ。『パーティー』はアホ牛の勘違いだ…馬鹿が、浮かれてんじゃねえよ」
2人に適当に返事をすると、リボーンはランボの首根っこを引き寄せて、その耳元でワントーン低い声で呟いた。顔を真っ赤にして叫び声を上げるランボを引きずりながら長い廊下を歩く途中で振り返ると、ボルサリーノのつばを指先でひょいと持ち上げて声を上げた。
「山本、Buon compleanno!」
優雅に片手をひらりと振るリボーンと、助けを求めるように泣き笑いの表情で両手をぶんぶんと振り続けるランボに、
「Grazie!」
笑いながら返す傍らで、ツナが「ランボも苦労するよね…」とため息を落とした。



いつも傍らにいる獄寺がいない所為か、慌しげに執務室へと戻るツナを見送った後で、獄寺の事を何も聞いていないのを思い出した。
(邪魔しちゃ悪いしな…)
誕生日とは言え、自分ばかりが休んでいる状況に後ろめたさを感じてしまい、自力でヒントを探すべく獄寺のデスクへと向かった。
ボスの執務室の隣室に守護者達のデスクが並べられていたが、ここでマトモに仕事をするのは獄寺ぐらいのものだった。出張が多く基本的にファイリングを得意としない山本のデスクが雑然としている以外は、他の守護者達のデスクはさっぱり片付いていて綺麗なものだ。
ファイルや資料がうず高く積み上げられているものの理路整然とした獄寺のデスクは、どこか獄寺の人柄をも思わせた。そのくせ、デスクの横にかけられているカレンダーは剛から毎年送られてくる竹寿司特製のものだったりするから、とことんこだわる面と頓着しない部分とのギャップが歴然としているところも獄寺に似ているかもしれない。
いくら守護者専用の部屋とは言え、人目につくようなところに執務のスケジュールを書く筈などなく、カレンダーは殆ど白紙だった…が、
「…ちゃんと覚えててくれたんだな」
小さく丸で囲まれた24日の欄に指を這わせて、山本はほっとしたように笑った。

「暇なら相手してあげようか?」
「…なんでこう、気配を殺すのが好きなヤツばっかなんかな?」
和んだ雰囲気をぶち壊して背後からトンファーを首筋にあてた雲雀の手元に、獄寺のデスクの上に転がっていたペンを突きつけるのが精一杯だった。
「得物がなければ、何を使っても良いよ」
「いや、あの…やる気もないんで」
ペンを離し、無条件降伏の体で両手を掲げたその時、雲雀の耳元で小さな機械音が鳴った。
「…判った。今から向かう…邪魔だから来ないで。全員待機」
山本から身を離した雲雀はインカムに向かって短く答えながらトンファーを収めると、取り残された感のある山本に「急ぐよ」とひと言投げてドアへと向かった。
「急ぐって…何かあったのか?」
すっかり興味を電話の向こうの出来事(十中八九、厄介事である事は間違いない)に移したらしく、どこか嬉々として先を歩く雲雀を引き止めるのは危険だったが、何かあったとなればいくらオフとはいえ見過ごす訳にはいかなかった。
「ネズミがやっとかかったらしいんでね…これで飼い主を噛み殺せるよ」
「ああ、ヒバリんとこの…1人で大丈夫か?」
数ヶ月前から妙な動きのあったバーに雲雀の部下を潜入させていたのは聞いていたが、敵はボスのガードに傭兵を雇うような一筋縄ではいかない相手だった筈だ。いくら物証を押さえたとは言え、雲雀1人で乗り込むのは…と、山本が躊躇いがちに声をかけると、
「何言ってんの?早くしないとキミから噛み殺すよ」
「早く、って…オレも行くのかっ!?」
「何度も言わせないで。行くよ」
雑魚ぐらいはあげるよ、と肩越しに振り返りにやりと笑う雲雀に、
「…そんなプレゼント、欲しくねえ」
肩を落として力なく呟く山本には、選択権はおろか拒否権すらなかった。



山本がようやく雲雀から開放されたのは、陽も随分と西に傾いた頃だった。
「なんつー誕生日だよ…」
これ以上ボンゴレ本部にいてはロクな事にならない…と、現場から本部には戻らずそのまま獄寺を探すべく街へ出たが、元より行方の手がかりになるようなものは何もなく。
決して広い街ではないが、広場を中心とした細い路地が幾重にも入り組んでいて、その上裏通りの石造りの街並みはどこか似たような印象を与えるから、すっかり土地勘のついた今でも注意していないと間違えてしまいそうになる。ぼんやり歩いている場合ではなく、頭に地図を描きながら獄寺の立ち寄りそうな場所にあたりをつけた。
小さいのに専門書が充実している本屋、エスプレッソが美味しいと喜んでいたバール、精巧な細工が見事なシルバーアクセサリーの店…記憶を辿りつつ店先を1件1件覗いていくが、それらしき姿は見えなかった。

「買い物、って訳でもないんかな…てか、そもそもなんでいなくなったんだ?」
まさか、本当に誘拐されたのか?…いやいや、だったら流石に気づくだろ、オレ。
今日が山本の誕生日だと知っている筈で、ちゃんと休みも取っていてくれて…なのに、朝からいなくなっていたのは何故なのか。
「そーいや、まだ聞いてねえな…」
『おはよう』と一緒に聞きたかった言葉を…誰よりも一番に獄寺から聞きたかったのに。

路地の真ん中に立ち尽くしたままぼんやりと意識を泳がせていた時、ジーンズのポケットの中で携帯が小さく揺れた。
叱責されたように一瞬びくりとするが、慌ててポケットから取り出しメール着信を知らせるランプの点滅に急かされるようにボタンを押した。
「………んだよ、笹川の兄貴かよ」
小さな液晶に表示されたアドレスは遠征中の笹川了平のものだった。何かと気のつく獄寺と違って、山本と笹川の間では余程の事がない限りまめに連絡を取るような事などないのだが…。
珍しいな、と呟きつつ件名のないメールを開くと、
「……勘弁してくれ」
『誕生日か!極限めでたいな!』
笹川の声まで聞こえてきそうなメッセージに、力の抜けた体で石畳の上にしゃがみこんで頭を抱えた。

「Prego」
頭上で聞こえた小さな声に顔を上げると、黒いマントを被った少女が花を一輪差し出していた。
「くれるのか?…Grazie」
花売りか何かの少女だろうか。山本が作り笑いを浮かべて種類の判らない小さな白い花を一輪受け取ると、目深に被ったマントの下で少女の口元が弧を描いた。
「Buon compleanno」
「…え?」
長いマントの裾を翻して立ち去る際に少女が言い残した言葉に、山本は首を傾げながら立ち上がった。
「誕生日おめでとう、って…何で知ってるんだ?」
顔に書いてあんのか?と、頬にぺたりと掌をあてつつ、表通りに出ようと歩き出す…が、路地の終わりで角を曲がるとまた同じような風景が広がっていて、記憶にある筈の看板や目印が見当たらない。記憶違いだったかと、取り敢えず進むべく方角を決めてそちらに向かうよう路地を選んで進むが、何度角を曲がってもやはり辿り着くのは同じ景色、同じ場所…先刻、少女から花を受け取った、あの路地。
「……まさか」
歩いているだけなのにやけに消耗した体で荒い息を吐く山本の脳裏に、少女が浮かべた笑みと去り際にかけられた声が甦った。
「…むーくーろーっ!」
白い花を握り締めて路地に膝をつく山本の頭の中で、骸がよく聞かせる押し殺したような笑い声が響き渡った。



陽もとっぷり暮れた頃、ようやく見覚えのある広場に辿り着いた山本は、教会前の階段に腰を下ろしひとつふたつと小さな光が瞬く濃い藍色の空を振り仰いだ。
流石に涙は出ないが泣きたい気分になって、いつの間にか剛がよく口ずさんでいた歌を口にしていたが、調子はずれのメロディに余計に哀しくなった。
「…獄寺のピアノが聴きてえ」
昨日の夜は、今日1日獄寺と2人でどう過ごそうか考えながら眠りに就いたのに。
ゆっくり起きて、一緒に食事をして、どこかに出かけても良いし、部屋で獄寺にピアノを弾いてもらっても良い。夜になったら一緒に眠って…そんな他愛もないささやかな願いすらも叶えられないなんて。
「日頃の行いが悪いとか…?」
階段の傾斜に背中を預けるように後ろに反り返ると、反転した視界にライトアップされた教会がやけに神々しく浮かんだ。

神様、ホトケサマ、ご先祖様…どーかオレに獄寺を下さい。

今度日本に帰ったら、墓参りに行こう…山本は西の夜空に輝く一番星に向かって密かに誓った。



いよいよ行くアテもなく、とぼとぼとアパートに帰った山本が部屋を見上げると、部屋の明かりがほんのりと漏れているのが判った。
「獄寺っ!?」
セキュリティを解除する手間ももどかしく、抉じ開ける勢いでエレベーターのドアを開き玄関に駆け込んだ。
「獄寺っ!」
「よお、遅かったな」
リビングの真ん中に鎮座するピアノの前に座って、指遊びのような単純なメロディを奏でながら獄寺が顔を上げた。
あれこれ言いたい事も聞きたい事も山程あったが、取り敢えずどかどかと足音荒く大股でピアノに歩み寄ると、何事かと首を傾げる獄寺にしがみ付いた。
「お、おいっ。やまも…っ」
苦しい、と空いた手で背中を叩くも、抱きしめる腕は緩む事がなく…諦めた獄寺は背中に回した握り拳を解き、後頭部を引き寄せ髪を撫でた。
程なく落ち着いた山本が腕を緩めた隙を見て、獄寺は両手を山本の頬にあてると、その顔を覗き込んで思わず、といった様子で吹き出した。
「おっまえ、何拗ねてんだよ。雲雀辺りにこき使われでもしたか?」
呆れたような口調でぺちぺちと頬を叩く獄寺を恨みがましい目で睨みつけると、山本は不機嫌そうな声で呟いた。
「…お前なあ、あの手紙は何だよ」
「ああ、あれなあ…取り敢えずお前には本部に行ってもらいたかったんだけど、ただ『行け』ってだけじゃつまんねえしなあ、って…まさか、本気にしたのか?」
オレが書いたって判るように、わざとG文字使ってやったんだぜ?と得意げに笑う獄寺に無言で話の続きを促すと、あーとかうーとかしばし唸った後、先刻よりも血色の良くなった顔を誤魔化すように目線を逸らしてぼそぼそと呟いた。

「オレもお前の誕生日に一緒に休みもらいたくて、ここんとこ仕事詰めてたもんだからプレゼントも何も準備出来なくてさ…うっかり10代目に洩らしちまったら、10代目が『山本はこっちで何とかしとくから、その間に捜せば?』っておっしゃって下さって…みんなに祝ってもらったんだろ?良かったな」
祝うっつーよりも、足止めさせられてただけなんじゃ…まあ、確かに雲雀以外からは「おめでとう」って言われたような気もするが。
「色々貰ってんだろ?先刻、本部から届いてたぜ」
獄寺が指差す先、テーブルの上にはランボから受け取った木箱だけでなく見覚えのない箱が幾つか置かれていた。
「あのワインは10代目とリボーンさんからだってさ。後、笹川の兄貴からも何か届いてたらしいぜ…それと、あの花は骸から、だってさ」
胡散臭げに獄寺が顎で示した先には、見覚えのある白い花が青いリボンで束ねられて横たわっていた。

「…でさ、その、色々捜してみたんだけど…お前の欲しそうなものって、調理器具とかそんなのしか思いつかなくてさ。流石にそれじゃあんまりだよなあ、って」
結局、何も買えなかったのだと悔しそうに呟くと、山本の肩口に額を押し付けた。
「お前はつまんねーかもしんないけど、明日一緒に捜しに行こうぜ」
「へ?明日はオレも獄寺も仕事だろ?」
確か、休暇申請は1日だけだった筈だ、と山本が首を傾げると、
「これも10代目からのプレゼントだそーだ。オレは元々2日申請するつもりで前倒しで仕事片付けてんだよ」
有難く思えよ!と、照れ隠しなのか顔を伏せたまま恩着せがましく言い放つ獄寺の身体をゆるりと抱き込んで、山本は嬉しそうに笑うと獄寺の耳元に懇願した。
「何にもいらねー代わりに、お願いがあるんだけど?」

他の誰からの贈り物も祝いの言葉も、カタチあるものも何もいらないから。

今日1日、何度も繰り返し聞かされた言葉を強請ると、顔を上げた獄寺が口を開きかけたが、
「皆と一緒じゃつまんねえな…」
と呟くと、腕を伸ばして山本の首を引き寄せて、祈りの言葉を唇にのせた。

…生まれてきてくれて、有難う。






山本誕生日おめでとう!…の割には苦労してるようですが(苦笑)ごっくんが幸せにしてくれるからいーんだよっ!(爆)
「Hallelujah」は賛美歌の方じゃなくて、ミスチルでお願いします!/わんこ






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