その光と共に



ドアを開けると、大陽がきらめく真っ青な空が広がっていた。
大空という名のリングを持つ、ボンゴレファミリーの10代目就任式にふさわしい青空。まぶしさに目を細めて空を見上げた後、獄寺はいつものように懐から煙草をを取り出し火を付けた。庭園を渡ってくる風には、かすかに薔薇の香りが乗っている。
あとしばらくしたら、ここはイタリアで一番厳重に守られた、そして一番華やかなパーティー会場になるのだ。緑の芝生の上に、白いクロスを張ったテーブルが数多く配置してあり、そのどれもが美しい薔薇で飾られていた。テーブルの周りを黒い制服のメイド達が動き回っている。
「…ちょっと早すぎた、か。」
獄寺が敬愛してやまないボスが、いよいよ正式に10代目を就任する日だ。朝から落ち着かなくて、用意されたスーツに早々に着替えてしまった。今朝、自室に届けられたこのスーツは、どうやらツナの見立てによるモノらしい。最上級の生地で仕立てられたブラックスーツは、まるで誂えたように細身の獄寺の身体にぴったりだった。普段から仕事中はオーダースーツだから、このサイズがぴったりなのは理解できるが…
「これのサイズまでぴったりってどうよ。」
そうつぶやいて、ボルサリーノのつばを下げた。銀色の髪を納めるように深くかぶる。今日はガーデンパーティーとはいえ正装だから、ツナの6人の守護者全員にボルサリーノが用意されているらしい。しかし採寸された覚えのないこれまでサイズがぴったりと合っているというのはどうだろう。
一見穏やかで優しげなツナは、実を言うととても勘が鋭く、すべてを見透かされているようで時折背筋が寒くなるような事があるのだ。だからといってこういう事まで見透かされているとはないと思うのだが…。
獄寺は庭園の隅にあるベンチに腰掛け、吸い終わった煙草を持っていた携帯灰皿で消した。
――昔はそこらへんに投げ捨てていたのにな。
小さい頃に実家を飛び出して1人で無茶ばかりしていた。周りの人間は全部敵だと思っていた。もし、日本で10代目に会わなければ、今のような自分には決してならなかっただろう。
そして、勿論あの馬鹿にも。
唐突に思い浮かんだ能天気な笑顔に、獄寺は思わず顔を顰めた。面白くない気分になったついでに、新しい煙草を取り出す。それに火を点ける前に、目の前に赤いハイヒールが立つのが見えた。
反射的に感じる悪寒は、長年培ってきた勘のようなものかもしれない。
「久しぶりね。元気そうでなによりだわ。」
「…ア、アネ、キ?」
「久しぶりだからって、そんなに緊張することないでしょ?隼人。」
決して顔を見ないように用心しながら、ぎこちなく顔を上げていく。大胆に胸元をカットしてある真っ赤なシルクのワンピースが見えた。 ビアンキは黒のレースの手袋をはめた指で、獄寺のボルサリーノのつばのふちを撫でる。
「そうそう、この間、あの人から預かったものがあるのよ。」
その一言に、獄寺は思わず顔を上げてしまった。しまったという気持ちで見たビアンキの顔は、頭の上に乗せられた小さな帽子からの薄いベールにふわりと覆われていた。硬直してしまうのは仕方ないのだが、獄寺は倒れる事もなく姉の顔を見上げていた。
緑色の瞳――自分と同じ色。
「…あの人?」 「そう。」 ビアンキが決まって『あの人』と呼ぶのは、二人の父親。 手に持った小さなハンドバックから、白いハンカチに包まれたものを獄寺に差し出した。
「隼人のお母様のものだそうよ。」
獄寺の手の中に置かれたのは、銀色のアンティークの懐中時計。男持ちのものらしく、少し大きく重さがあった。蓋は珍しく植物の葉がデザインされ、浮き彫りになっていた。どこか東洋を感じさせるのは、日本で作られたものだからなのか。
「隼人に持っていて欲しいって。」
「俺に?」
何気なく蓋を開けると、白いシンプルな文字盤が見えた。そして、蓋の裏には何か言葉が彫ってあるようだ。 ――光と共にありますように。
「本当は隼人のお母様があの人に渡したものだったみたい。でも、あの人曰く自分よりも今の隼人にふさわしいから、だって。」
日本語で彫られたこの言葉を、イタリア語しか話さない獄寺の父が読めたはずはない。おそらく獄寺の母が願いを込めて渡したものなのだろう。
ビアンキは獄寺の帽子を取ると、少し身を屈めてその額にキスをした――昔、獄寺の母がそうしてくれたように。
「…隼人、おめでとう。これから頑張るのよ。」 そう呟いたビアンキの目を、獄寺はただ見返すことしかできなかった。

「ビアンキ、こんなところにいたのか。探したぞ」
「あら、リボーン。」
屋敷の方から、同じ黒のスーツにボルサリーノ姿のリボーンが現れた。その後ろには山本の姿も見える。それを見て獄寺は立ち上がった。
「ツナがせっかくスーツを用意してくれたんだ。お前も着てやれ。」
「皆お揃いなの?しょうがないわね。」
どこかぼんやりとした様子の獄寺を笑いながら一瞥すると、リボーンはビアンキを伴って屋敷に引き返していった。
「…獄寺?」
「…あ、ああ。」
「煙草落ちるぞ。」
そう言うと、山本は火を点けないまま獄寺が銜えていた煙草を取り上げてしまった。その行為にようやく獄寺が我に返る。
「なにすんだよ。」
「どうせ吸わなかっただろ。こんなにフィルター噛んでしまっていたらさ。」
獄寺の目の前で煙草を2、3回振って見せると、山本はそれを自分のスーツの内ポケットに入れてしまった。獄寺はむっとしたように眉根を寄せる。
「それはそうと、何を持っているんだ?」
「何だっていいだろ…っておい!」
山本は獄寺が持っている手に自分の手を添えて持ち上げた。白いハンカチから懐中時計が覗いている。
「へー、懐中時計か。お前のか?」
「…まあ…な。」
「珍しいデザインなのな。蓋に竹が彫ってあるって。」
山本の言葉につられて、獄寺は改めて手の中の懐中時計を見た。遠い、かの国を思わせるような竹と葉が見事な浮き彫りで表現されている。
「ああ。」
「アンティークっぽいな。誰かから譲り受けたもの、なのか?」
その山本の質問に、何故か獄寺は顔を顰めた。
「…ああ。さっき、姉貴から…渡された。」
小さく呟くと、下唇を噛んで黙ってしまう。その様子を見た山本は、譲られたその相手が決して獄寺の口から話がでたことのない彼の父親なのかも知れないと思った。
山本は、獄寺の家庭の事情を知らない。彼の両親がどうしているのか、どう思っているのかを一度も聞いたことがなかった。それは獄寺が話してくれる気持ちになった時に、聞くことが出来れば十分だと思っているからだ。
だから山本は獄寺への自分の気持ちを自覚したときから、傍にいてやりたいと願っている――これからもずっと。
山本はベンチの上に置いてあったボルサリーノを取り上げると、それで隠すようにして獄寺に顔を寄せた。時計を持った手を持ち上げると、その指先に唇を寄せる。そして驚いて見開かれている獄寺の緑色の瞳を見た。
「なっ…にすんだっ!」
「ツナに誓う前に、獄寺に誓うよ。」
驚きのあまり固まっている獄寺に、山本は唇の端を上げて笑った。
「俺は決して獄寺と道を違えることはない。」
やさしい口調とは裏腹に、山本の瞳は強い光があった。
「どこまでも、お前と共に。」
――その光と共に。
「…ばかやろう!」
眉を寄せて睨み付ける獄寺に「ははは」と笑いかけると、ボルサリーノを手渡して山本は踵を返した。いつのまにか、庭園には人が集まり始めている。獄寺はもう一度ボルサリーノを深く被り直し、手の中の懐中時計をスーツのポケットに入れた。
山本の唇が触れた指先は、いつまでも熱いままだった。






もしも、10代目就任式があったら。 /つねみ






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