ラ・カンパネラ



アパートの隣が警察署っつーのは、地域的な治安の良さ(職業的には何処に住んでたって関係ないので論外)がメリットだけど、ちょっとした路上駐車にも気を遣わなきゃなんないのがツラいとこだな…と幾度となく繰り返したボヤキをまた反復しつつ、山本はアパートの入り口に愛車のフィアットを寄せた。
トランクから食料品の詰まった大きな紙袋を取り出し、いかにも「買出しに行って大荷物を運ばなきゃいけない大変さ」をアピールすべく、道路の向こう側からこちらを伺っている顔見知りの警官に人馴れした苦笑いを浮かべると、陽気な警官から大袈裟なリアクションで了承の意が示された。
「Grazie!」
さっさと荷物を下ろそうとアパートの入り口に向かいかけた足を、突然頭上に鳴り響いた音が止めた…教会の鐘の音にも似ていたが、こんな中途半端な時間に鳴る筈がない。
(…襲撃か!?)
思わず顔を上げた山本の目に映ったのは、真っ青な空を切り裂くようにひらひらと落ちてくる真っ白い紙が一枚。
荷物をトランクに下ろして手を伸ばすと、三連符が幾つも並んだ五線譜が描かれていた。それが何か気づいたその瞬間、叩きつける雨のように硬質の高い響きを帯びた旋律が一気に降り注いだ。
(慣れたつもりでも、心臓に悪い…)
反射神経のようにぞくり、と蠢く胸の上に手を当てて、この天気の良さに恐らくリビングの窓を大きく開けているのであろう自分達の部屋を見上げると、新たに舞い踊る楽譜が1枚、2枚…。
「やべ…っ」
荷物はそのままに車のハッチを慌てて閉めると、アパートの入り口へと駆け出した…全く、こーゆー時は、セキュリティアップしたエントランスがつくづく恨めしい。


「獄寺っ!」
靴を蹴飛ばすような勢いで脱ぎ散らかし、慌ててリビングに駆け込むと、案の定サンルームもリビングから続くキッチンの窓も全開にして、穏やかな日差しの降り注ぐ中、獄寺は山本に気づく様子もないままピアノに向かい、足元に無造作に置かれた楽譜が風に煽られて部屋中に散乱していた。

山本が突然買ってきたピアノは思いの外獄寺の心を動かしたようで、それ以来ピアノの前が獄寺の定位置になり、嬉しそうな様子を隠す事なくピアノに触れる獄寺の姿に山本も満たされていた…のだけど、ピアノの前に座ると集中し過ぎて周りの音に全く反応しなくなる、という新たな面も発覚し、食事が出来たと声をかけても曲が終わる迄は全くの無反応なのは流石に苦笑いを浮かべるしかなかった。
(まさかピアノにまで妬くなんてなあ…)
いつもの如く譜面も何も見ずに弾き始めた曲に珍しくてこずっていたようで、運指が思うようにいかないのか曲の途中で指を止めて悔しそうに鍵盤を睨みつけていたのが、数日前…その翌日には早速買い集めたらしい楽譜が譜面台に広げられた。
幼い頃、よく弾いていた連作の練習曲らしいが、これのどこが練習曲なのかと門外漢の山本でさえ唸るようなびっしりと音符の並んだ譜面と、敵に対峙するように険しい表情でピアノに向かう獄寺の横顔、そして獄寺自身とは全く別の生き物が宿っているかのように鍵盤の上を走る見慣れた筈の白い指に、欲情にも似た熱い思いが胸底を焼いた。

曲の展開と共に鍵盤を叩く指に激しさが増し、駆け上げるようにテンポが上がっていく。時折目を閉じて無心に音を生み出すその姿は、祈りの所作にも似ていた。
無造作に羽織った白いシャツが風を孕んで、音に合わせて揺れる銀髪が光を弾く…しばらくリビングの壁に寄りかかりその光景を眺めていたが、程なく駐めたままの車と荷物を思い出し、邪魔をしないようそうっと窓を閉めて楽譜が舞い踊るのだけは収めると、それでも気づかない獄寺に苦笑しつつ名残惜しげにリビングを後にした。






ごっくん、聴力は良い筈なんですが…相手が山本なんで油断してる、っつー事で(苦笑)/わんこ






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