水琴窟 外灯に照らされ青白く浮かび上がる夜の公園に足を踏み入れると、どこか遠くで虫の声が聞こえた。 「もう、そんな季節か…」 意識せずとも季節の移ろいを肌で感じる事が出来るのはこの国ならではなのだと、漸く気づいたのは遠い異国の言葉にも空気にも馴染んだ頃だった。 花の便りも桜ぐらいは意識していたが、霜深い凍る空気に匂い立つ梅の花や、雨の合間に色濃く漂う梔子の香り、秋の夕暮れに溶け込むような金木犀の甘い匂い…並盛の町を彩る様々な花木が季節に合わせて咲き乱れていたのに、幼く機微に疎かったオレには気づく術もなかったのだ。 「うっわー、ちっちぇえなあ」 膝下にも届かない低いブランコの鎖をがちゃりと揺らすと、掌についた錆びた匂いを嗅いで獄寺は細い肩を震わせて笑った。 「獄寺、こっち…」 お前にもこーんなにちっこい時期があったのかよ、なんてブランコの傍らにしゃがみ込んで見上げる獄寺に片手を差し伸べるが、当然その手は取られる事なく、静かに立ち上がった獄寺はオレの肩先をすり抜けて淀みない足取りで公園の奥へと歩き出した。 夜闇に淡く立ち昇る香りに誘われて辿り着いた先は、遊具の脇に小さく設えられた藤棚だった。何も言わずに連れ出したのに、確認もないまま辿り着いた目的地で足を止めた獄寺の背中に近づきながら、オレは満足気に口元を緩めた。 「綺麗だろ?」 「ああ…綺麗だ」 素直に頷く獄寺は低く枝葉を伸ばす藤棚に近づくと、僅かに頭を屈めていくつも垂れ落ちる薄紫の花房と淡い緑の葉を掻き分けるように中に入っていった。 「へえ…藤の花ってこんな匂いなのか」 仰のいて目を閉じて深く香気を吸い込む獄寺の横顔に、枝葉越しに差し込む外灯の光が影を落とす。未知の体験に子供のように綻ぶ白皙を目にして、胸奥にひとつ、滴り落ちた雫がぴいん、と高い音を響かせて水面を揺らした。 獄寺に出逢って、オレは様々なものを知った。今まで見えていなかったものにも気づかされた。 綻ぶ花の美しさも甘い香りも、何かを慈しむ喜びも苦しみも哀しみも憎しみも…そして、それら全てを上回る幸福を。 だから、オレが知る限りの全ての美しいものを、獄寺に見せてやりたかった。 オレが獄寺に捧げる思いは、決して美しいだけのものではなかったから。 「綺麗、だな…」 繰り返し呟くその唇がふわりと花開くようにほどけるたびに、甘い酩酊感に襲われるのはいつもの事。 「ああ…本当にな」 深く息を吐き出してやり過ごすと、胸奥を静かに滑り落ちた幸福感が波紋を広げるように全身に沁み渡った。 出勤途中、BBBの「抱きしめたい」を聴きながら藤の花の下を通り抜けた時に浮かんだネタでした…曲のイメージとはかけ離れてますが(苦笑) 一方的に大好き!な方に読んでいただけたら嬉しいなあ、と思いながら書きました…。/わんこ |