いつか、花の夢を



ガラス越しに差し込む日差しで暖められた車内は上着が要らない程だったが、外はまだ肌寒いかもしれない。風邪でも引かせたら獄寺に怒られちまうな、と苦笑しつつ後部座席に座るツナに「上着、着とけよ」と念押しすると、山本は助手席に放り投げていたジャケットを羽織り外へ出た。
数日前に終わったばかりのカーニバルの名残なのか、来たる新しい季節に思いを馳せているのか、久し振りに訪れたアグリジェントは人も町並みもどこか浮き足立っているように見えたが、1年で最も観光客の押し寄せる時期が過ぎた神殿の谷は平日の所為もあって静かで、乱立する遺跡も中空に漂うようにひっそりした佇まいを見せていた。
谷を見下ろす位置で車から降りると、路傍も遺跡の周囲も、そこここがふんわりと煙るような薄紅色に彩られていた。谷を渡る強風に煽られて枝が大きく揺れるたびに、満開を過ぎたらしいアーモンドの花びらが無数に空に舞い上がり吹雪のように視界を染めた。

まだ3人が日本にいた頃…皆で花見をしていた時、獄寺から聞かされた事があった。
(シチリアにも、桜に似た花があるんだぜ)
町中を上げて1週間がかりで繰り広げられるカーニバルの話を語り聞かせながら、こっそり持ち込んだアルコールの所為か、満開の桜に郷愁を掻き立てられたのか、獄寺はいつになく和らいだ眼差しで摘み上げた花びらを眺めていた。
「それ、見たいな…いつか一緒に行こうな」
他の奴らに聞こえないように耳元に顔を寄せて小声で呟くと、いつもならきつい眼差しで睨み付けてくる筈の獄寺がふわりと頬を緩めて、手にした花びらを山本の頭上に降らせた。

ボンゴレのボスとしてますます多忙になっていくツナとこうして2人だけで出かけるのは、仕事のついでとはいえ久し振りの事だった。
獄寺に再三注意されているから、流石に日本から一緒に渡ってきた仲間達以外の前では「ボス」と呼ぶようになり、それなりの態度で接してはいるが、山本にとってツナは飽くまでも「友達」だった。マフィアのボスになる事、が決してツナの望みではない事も知っているから、許される限り友達として接してやりたかった。
恐らく、ツナもそれに気づいているのだろう…だからこそ、山本を頼りにもしているしその助けを求める事に躊躇もするのだ。
「なあ、山本……お願いがあるんだ」
髪を風に泳がせたまま真っ直ぐ山本を見上げる瞳にいつもの気丈さはなく、昔から変わらない他人を気遣うような優しさだけが滲んでいた…だからこそ、山本は迷う事なく頷き、安心させるように笑った。
「ああ。聞いてやるよ、ツナ?」

ボスの「命令」じゃなくて、ダチからの「お願い」なら、聞かない訳にはいかないだろ?



数ヶ月ぶりの日本は、毎日のように各地の桜の開花がニュースで告げられていた。
町を見下ろす高台に建つ総合病院では、樹齢を重ねて大きく枝を伸ばした桜が満開を迎えていた。
「あっちにもな、桜によく似た花があるんだ…来年は、皆で花見に行こうな」
病室の窓から中庭に植えられた桜を見下ろしていた山本は、ベッドに歩み寄り、眠る凪の髪をひと撫ですると、
「…流石に、あの髪型じゃないんだな」
と、安堵したように呟いた。

日本の病院にいる凪を迎え入れたい…それがツナの願いだった。
骸の作り出した幻覚で延命し、時に未だ牢獄に繋がれたままの骸に代わって戦ってきたクローム…凪は、骸の力を借りなければ起き上がる事も出来ず、延命装置に繋げられて眠り続けるしかない状態だった。
以前、一度だけツナと共に病院を訪れた山本が見たのは、家族も友達も誰も来ないという殺風景な病室で、幾つもの器具や点滴に繋げられたまま横たわる少女の姿だった。家族以外は入室を禁じられており、部屋の入り口から遠目に眺めただけだったが、その痛ましさに山本も口を噤むしかなく、隣に立つツナが何か呟いたようだったが聞き取れなかった。

シャマルの伝手で入手したイタリアの高名な医学博士とやらの委任状を手に凪の両親と病院を説き伏せるのは予想以上に容易く、猫の子でも譲り渡すようなその気安さに怒りも覚えたが、やはり迎えに来て正解だったと、両親に対して僅かばかり抱いていた罪悪感と共に握りつぶした。
それらしく見せる為に医者達の前で着けていたメタルフレームの眼鏡をかけ直すと、この数日で手配した渡航の為の書類と凪の両親から託された荷物を手に取って、山本は凪に笑いかけた。
「さて、さっさと帰るか」



空港まで出迎えに来ていた獄寺と2人で凪をツナの元に送り届けると、いつになく口数の少ない山本を労うように、ツナが「有難う」と微笑んだ。
報告は明日で良いから、と獄寺共々退去を命じられ数日振りのアパートに帰り着くと、荷物を放り投げて伸ばした腕よりも先に獄寺の両腕に捕まった。
「おかえり」
「…ただいま」

今回の顛末をツナから先に聞かされ、事情は違えど自ら家を出た獄寺は「子は親を選べないから」と妙に納得していたのだが、遠く離れた今も惜しみない愛情を注いでくれる家族に恵まれた山本には理解し難かったらしい。力なく笑う山本の首に回した両腕に力を込めると、耳元に「有難う、な」と呟きが落とされた。
その声音に安堵して体を離すと、山本がジャケットのポケットに手を入れて何かを握り締めたまま差し出し、獄寺の頭上で拳をゆっくりと開いた。
「お土産」
今回は時間が無かったから、とポケットにいくつか忍ばせていた桜の花びらを散らすと、掌で受けたそのひとひらを指先で摘み上げた獄寺が懐かしそうに笑った。



屋敷に新たに用意された凪の部屋に、小さなノック音が響く。ある筈もない返事を待つようにしばしの時が流れた後、重厚な扉が細く開いた。
するりと滑り込んだツナが後ろ手で扉を閉ざすと、窓から差し込む月明かりが部屋の中に青く満ちていた。薄明かりの中、凪が眠っているベッドに近づくと、枕元に飾られた桜の一枝がその花びらを闇にほわりと浮かび上がらせていた。
「ひとつ、もらうよ」
慎重に花のひとつを摘み取り、形を崩さないように緩く握り込むと、凪の枕元に跪き、そうっと額を合せて目を閉じた。
(骸…)
すう、と輪郭が溶けるように体の感覚から解放された時、どこかで水の音が聞こえた。

ゆっくりと瞳を開くと、暗い水の中、全身を拘束されたまま揺蕩う骸の姿が見えた。
(骸…あともう少しだから)
届く筈もないのに、水の中で精一杯手を伸ばす。握り締めていた掌を開くと、溢れた花びらが水の中で雪のように舞い上がり、2人の頭上をひらひらと揺らめいた。
(来年は、皆で花見に行くんだ…お前も一緒に)

戻ってきた感覚に目を開けて体を起こすと、程なく目覚めた凪がツナを見上げて緩く微笑み、ベッドに横たわったまま点滴に繋がれた腕を伸ばしてツナの髪に触れた。
「ボス…有難う」
小さな呟きと共に凪の指から落とされた花びらに、ツナは目を細めて頷いた。






原作で今後骸の10年後が出るか否か、凪ちゃん共々どう出てくるのかなるのかさっぱり??だったので、その辺りの捏造っぷりはご了承下さい!/わんこ






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