レクイエム



 長時間フライトで凝り固まった体をめいっぱい伸ばして、久し振りの日本の空気を味わうべく大きく深呼吸をすると、山本は後ろに立つ獄寺を振り返った。
「いー加減慣れたつもりでも、やっぱキツいよなあ…そーいや、お前こっちではどこに泊まるんだ?」
 何ならウチに…と言いかけた山本を制して、獄寺はあっさりと言い放った。
「ああ?聞いてねえのか?オレもお前んちだぜ。剛がうちに来いってうるさくってさあ」
「何だそれっ!?聞いてねえ…ってか、何で親父が獄寺に…」
「んー、メル友ってやつか?時差があるから電話もしづれえし、メールなら、って事でパソコン買ったらしいぜ」
 呆然と立ち尽くす山本を放っといてスーツケースを引きずって歩き出した獄寺に、ようやく我に返った山本が慌てて追いかけた。
「メールって…オレ、聞いてねえし!」
「ああ、安心しろ。お前の近況はオレがちゃーんと報告してっから」
「いや、そーじゃなくて…」
「剛の奴、ほんっとーに親バカだよなー。お前が初めて試合でホームラン打った話やら近所のばーちゃん助けた話やら配達先で泥棒捕まえた話やら、お前の自慢話ばっかだぜ」
 べんきょーは昔っから駄目だったらしいな、と肩越しに振り返りながらにやりと笑う獄寺に、ほんの一瞬でも「親父!獄寺にオレの自慢話してくれてさんきゅー!」と思った自分を悔やんだ。
 日本で行く宛のない獄寺をうちに招いてくれたのは感謝している…が、
「…お前、親父の事は『剛』って呼ぶのな」
 ぴたり、と歩みを止めて、幾分トーンの下がった声音で呟いた言葉に、一歩先を歩いていた獄寺も立ち止まり振り返る。我ながら大人気ないと思うが、自分は未だに名前で呼ばれた事がないのだ。これは不公平というものだ。
 ガキみたいに拗ねた表情を隠しもせずに獄寺を睨むと、頭をぽんぽんと叩かれた。
「ばっかだなあ…何妬いてんだよ」
 子供に言い聞かせるような柔らかい口調とどこか困ったような穏やかな微笑みは、誰にも見せたくない、山本の大切な宝物だった。獄寺がそれを人前で惜しげもなく曝すなんて事、滅多にない。内心「勿体無い!」と思いつつも、たまには拗ねてみるもんだな、と真一文字に引き絞った口元を緩めると、獄寺が首を傾げてにっこり笑った。
「安心しろ。剛はお前の事が一番なんだからな」
 愛されてんな、山本!と頭をひとつ叩いてさっさと歩き出す獄寺には、
「愛されてんのかな、オレ…」
 取り残された山本の呟きは、届かなかったかもしれなかった。






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