愛とは、左の頬をぶたれたら、相手の右頬にキスをすることである。



 カーテンの隙間から差し込む暖かな太陽の光が顔に当たって黒髪の青年は目を覚ました。愛おしげに腕の中の小さな人形を抱きしめる。
 この青年、人形愛好者でもライナスの毛布代わりに人形を抱えているわけでもなく、昨晩この人形のマスターに選ばれたばかりのただの青年である。ただの、というには若干語弊のあるマフィオソーつまりマフィアの正式構成員の青年ではあるが。
 人形は彼がヴァレンティーノ聖人の日に恋人のために買ったはずだったが、反対に人形から「俺様のマスターにしてやる」と何故か命令形。そもそも、人形が話したり動いたりする事を不思議に思っていないところから少々…いやいや純朴な青年というわけである。


 人形の名前はリボーン。
 マスターの名前はランボ。
 これはランボが謎の人形リボーンのマスターになって二日目のお話。


 ランボは抱きしめたリボーンの小さな背中を優しく撫で続ける。ボルサリーノの下に隠れていた黒髪はかなりお転婆で、リボーンが寝返りをうつ度にランボの顔を激しくつついていた。
 ランボの髪は絹糸のように柔らかいくせっ毛だからそんな髪質も珍しく、しきりに指をからめてはすいていた。リボーンはどこを触っても柔らかくて弾力に溢れていて抱きしめれば甘い、いい匂いがして。
 ランボは一晩でリボーンの体を愛でることに虜になっていた。
 しかしランボはすっかり忘れていた。リボーンが可愛らしいだけなのは寝ている間だけだということを。

 ランボがベッドから出ずにリボーンを眺めているとリボーンが大きなあくびをして、薄目を開けた。ランボは声をかけず、そのぼんやりとした目の表情を楽しんだ。
 何度かあくびを繰り返してやっと焦点を結んだ。
「ブォンジョルノ」
 頬にキスをするとお返しにアッパーカットが炸裂した。小さい体のどこにそんなパワーが秘められているのか考えが及ぶ前に目の前に星を見てしまった。
「ブォンジョルノ。起きたらすぐ俺様の朝飯を作るんだぞ」
 ランボは涙目で顎を押さえる。天使のような可愛らしいさとのギャップに言葉が出ない。うう、とうめきながら起きてコンロにポットをかけた。濡れタオルで顎を冷やしていると、寝室から名前を呼ばれる。近寄るとまた殴られそうで、部屋の入口でびくびくと覗いた。
「なっなにっ?」
「バスに入れろ」
 命令してるくせに、両手を上げて抱っこをねだる。そんな姿見せられたら断れないじゃん、とランボは大きなエメラルド色の瞳に涙をためてランボを抱き上げた。
「バスとシンクどっちがいい?」
「バス。ぬるめで」
 リボーンを抱えたままバスタブに腰掛け、温度調節を計る。リボーンの小さな手を蛇口に寄せて、OKをもらう。
「お前も入るんだぞ」
「えぇ?殴んない?」
「いい子にしてたら殴んねーさ」
 ランボはシンクにリボーンを座らせて、ポットの火を消してからバスルームに戻った。
「アホ牛、コレ入れろ」
 子猫ちゃんの一人が置きっぱなしにしていたダマスク・ローズのバスオイルの瓶を指す。赤ん坊のくせに…と思ったのが顔に出たのか、リボーンは銃を構えた。
「おまえホントは殴られるの好きだろ?」
「ごめんなさい」
「素直が一番だ」
 もしかして教育されてる?と思いながら服を脱がせてバスに入る。バスオイルはお湯に混じって白く濁ると同時に濃い薔薇の匂いを立ち昇らせる。
「薔薇の匂いが好きなの?」
「そうだな。オレの好きなものは他にも色々あるぞ。教えていくからちゃんと覚えろよ」
「はーい」
「いい子だな」
「あのさ、殴られるのがヤだから素直にしてんだけど、なんでそんなに偉そうなの?仮にもボクはきみのマスターなんでしょ?マスターの方が偉いんじゃないの?」
「偉いとか偉くないってのはお前の中でどういう基準だ?アホ牛」
「経験とか年齢とかが豊富な人が偉い…まさか?」
 いやな予感がした。
「勘が良くなったなぁ。オレの方がお前よりずっと年上で色々経験してんだぞ。ってことでオレがおまえより偉い」
「証拠がないじゃんっ」
「お前のボスは誰だ?」
「言うわけないもんね!」
「……ボヴィーノだろ。ちっせぇファミリーだよな」
「ええ!?」
 つんつんと自分をつつくリボーンの髪を濡らそうとやや上向きに抱いていたりボーンの顔を覗き込む。
「オマエ…正直すぎ。よく今まで生きてこられたな。仕事ちゃんとやっていないだろ」
「なんでわかったの?オレ寝言か何かで言った??」
「寝言でボスの名前呼ぶっておまえボスとデキてんのか?」
「んなわけないじゃん!!」
「ホントにアホだなぁ。おまえをいい男にしてやるって言ったけど、ヒットマンにも育てなきゃいけねーのか。大変だなこりゃ」
「た、たのんでないよっ」
「おまえに選択権はねーぞ、アホ牛」
 充分に温まったリボーンが髪を洗え、と続けた。勿論、シャンプーもコンディショナーもボディソープもとりとめなく並ぶ中から、確実に質のいい物を指定する。勿論、子猫ちゃんたちの置き土産からというのをリボーンは見抜いていた。
「女の趣味だけは良さげだな」
「でしょ。ほんとにカワイクて優しい子猫ちゃんたちばかりなんだよ。そのうち紹介するね」
 シャマルから預かった数ある紙袋をかき回してリボーン用の真新しいスーツをみつける。リボーンの髪の毛を乾かして自分の着替えをしながらランボは、行きつけでのバールでのブランチを提案した。ミルク缶とリボーンを左手に抱えて階段を下りながらランボはサングラスをかける。
 すっかり陽は高く空気もあったまっていた。スーツの上からマフラーをぐるぐる巻きにされたリボーンはボルサリーノとの隙間から大きな目だけが覗いていた。
「チャオ!」
 CODE46と書かれたドアを片手で開けて、ランボが中に声をかける。カウンターにまっすぐ進んでリボーンを座らせる。
「チャオ、ランボ。とうとう隠し子発覚かい?」
 一見サラリーマン風の男がカウンターから声をかけた。
「しばらく一緒に暮らすんだ。リボーン。リボーン、ここのマスター、ティム」
「通称か?」
「なんでわかったの?」
 ビルがランボに「教えたのか?」と目で聞くが、ランボは首を振ってNOの返事をする。
「簡単だろ。店の名前から考えればすぐわかるさ」
「ワオ。ワンダフルなラガッツォーノ(男の子)だな。よろしく」
 ビルは指先でリボーンの小さな手を摘んで握手を交わした。
「とっておきのカップをリボーン用に借りたいんだ。」
 ミルク缶を出してお湯と7:3で割って、と付け足す。ティムが出してきたいくつかのカップ&ソーサーからリボーンはファイヤーキングのジェダイシェルを選んだ。底から口にかけて螺旋の掘り込みがある、ぽってりとした翡翠色のカップの中に真っ白いミルクがたぷたぷと浮かび、ランボがおいしそうだなぁと指をくわえている間に、ランボ用のトマトとバジルのパニーニにカフェラテ、そして塩とキャラメルのマフィンクリーム添えも出てきた。  ランボはカウンターに斜めに座り、左足の上でリボーンを抱いてリボーンとカウンターの高さに気をつけながら、右ひじをついて食べ始める。ティムや常連客とたわいない話をしていたらティムが耳打ちをした。
「午後、ボスが来いってさ」
「グラッツェ」
 昼も近くなり、客が増えてきたのでランボは店を出て、車でドン・ボヴィーノの屋敷に向かった。そこでも「隠し子か!?」とみんなに声をかけられたが、リボーンは愛想を振りまくこともせず ― ランボは、リボーンが愛想をふりまくことなど考え付きもしなかったが ― ボスの執務室にリボーンを抱いたまま通された。
 リボーンを見て驚くボスに「隠し子じゃなくて…」と繰り返した言い訳を始めようとしたランボを制して、ボスが歩み寄ってきた。
「ランボすごいな!何かしでかすんじゃないかと思っていたけどまさかプランツドールのマスターになるとは!見せてくれないかい?」
「プランツ?なんですか?それは」
「そのラガッツォーノだよ。名前はなんて言うんだい?」
「リボーンです。リボーン!?」
「気安く触るなよ、ドン・ボヴィーノ」
 リボーンは恐れも見せずボスに命令をした。ランボの喉がひっと空気を飲む。目をかけてもらっているとはいえ、末端から数えた方が早い立場の自分(の所有物)からボスに命令するなんて。激昂するボスは見たことがない。叱責か銃口か覚悟したが返ってきたのはボスの笑い声だった。
「噂通りにプライドが高いものだな。仕方ない、許しを得るのを待つとしよう。ランボ、仕事だ。プランツドールマスターとなったら金はいくらあっても足りないだろう。ボーナスもつけてあげるから片付けておいで」
 ドン・ボヴィーノは重厚に笑いながらランボにファイルを渡した。

「じゃ、ここで待ってて」
「なに言ってんだ、ついていくぞ」
 ランボはベレッタの点検をしながら助手席のリボーンに車で待つよう言った答に手を止めた。
「遊びじゃないんだよ?人を殺すんだよ?」
「おまえの仕事っぷりを見ねーと今後の方針がたてられねー」
「プランツドールって何?リボーンは何者なの?」
「仕事の後、教えてやるよ」
 どっちが『仕事』するのかわかんないな。ランボはポケットの弾倉を確認してリボーンを抱いて車外に出た。
 敵のアジトは地下の寂れた場末のバー。ボヴィーノのシマで複数の警告を無視して武器売買を続けた北からの流れ者たちを消すこと。足音を消して階段を下りて突き当たりのドアを開けると、中にいた男たちが全員ランボを見た。ファイルの顔写真と同じ顔、同じ数。ランボがそう確認してベレッタが火を噴くまでの間、ターゲットたちは急に登場した若者に胸の銃に手を伸ばしたところまでは反応したものの、若者の腕の中の赤ん坊に場違いなほど、愛らしい姿に気を取られてしまった。6人が倒れたところでまだ立っていた男たちはやっと銃の安全装置を外した。
 その間にランボは店内に入り込み、バー・カウンターの中に移動しながら3人を撃っていた。カウンターの中でしゃがみ弾倉を変えてリボーンをカウンター下に置き、カウンターの横から転がり出て残り3人を倒した。呼吸をしているのはランボだけという部屋の中、室内の電気を全部つけて死体の確認をした。
「一人逃げたぞ」
 カウンターの中からリボーンの声がした。自分たちが入ってきた入り口に血の跡が続いていた。ドアを開けたところで追いつき背中に向かって撃つ。死体の襟を握って室内に引きずって戻した。
「グラッツェ。なんでわかったの?」
「音だ」
 全員の死亡を確認して、ボスに電話連絡をする。すぐに組織の息のかかった警察が到着するだろう。死体を掴んだ左手を洗い、カウンターの下に隠したリボーンを抱える。
「ノーコン、無駄撃ちが多すぎる」
「ええ?今日は最高にうまくいったのに!」
 反論しつつもランボ自身も自覚していたことをズバリと言われ肩を落とす。確かに12人を殺すのに20発撃っていた。
 しかし。視界もよくなかっただろうに、ランボの銃撃センスと敵の状況を冷静に判断できるとはやはりただの赤ん坊ではない、とランボはちょっと尊敬するかも、と頬を紅潮させた。

 プランツドールについて話す、と言ったリボーンは、運転を始めた瞬間からすぴーすぴーとランボの胸にもたれて昼寝を始めてしまった。ボスから途中賞賛の電話が入り、長話をしても起きないぐらい熟睡していた。  赤信号で止まるときに、リボーンの頬にかかる髪をかきあげ、ついでに頬をぷにぷにと摘んでもてあそぶ。抱きしめてやわらかさを堪能する。仕事のダメだしをくらったものの、感触の良い肢体を密かに堪能して自分へのご褒美とした。

「あいつらお前の知り合いか?」
 一度シャワーを浴びてリボーン用の買い物の途中、リボーンがランボの胸を指して見上げた。
「後ろに誰かいるの?」
「ガラの悪い連中がな。もうずっとついてきているぞ」
「子猫ちゃんたち以外には知り合いはいないなぁ」
「昼間しくじったんじゃねぇの?顔全員合っていたか?」
「そこまでヒドクありません」
「まぁオレは巻き込まれなきゃいいんだけどな」
「え?なにそれ、一人だけ逃げようっての?」
「アホ牛如きにまきこまれるか。アホ」
「アホって2回言った!」
「一生言えるぞ」
「一生って何回だよ。何十回言ったら一生分なんですか?」
「おまえの一生は何十回分だけでいいのか?」
 つまらない口喧嘩をしている間にランボの背中に銃口がつきつけられた。こんな人の多いデパートでそんな暴挙に出られるとは思わず油断していた。
「荷物をぶつけて逃げろ」
 ランボはりボーンの買い物の荷物を投げ捨てるように後ろの人物に当てて走り出した。
 閉まる直前のエレベーターに乗り込み、次の階で飛び出して建物の外の非常階段をめざす。カンカンと高く響く鉄の階段の音が耳障りだ。非常階段の2F部分から手すりを乗り越えて地上に飛ぶ。左手でリボーンをしっかり抱えて、右手で体のバランスをとる。外は大粒の雨が降っていた。駐車場とは全く違う裏通りへ、水溜りの雫を飛ばして走り出す。
「土地勘あるのか?」
「少し」
「表に出ろ」
「ごめん、もう遅かった」
 ランボは足を止める。
 部品をほぼなくした車の残骸やビールケース、ガラクタなどがうずたかく積まれた袋小路だった。切れた電線が風に揺れ青白くスパークし、建物の陰には浮浪者が雨を避けるようにうずくまっていた。やり過ごせれば、と身を隠したランボの近くに着弾の音がして複数の足音が続いた。
 ランボは片目を閉じて銃の照準を合わせ、なるべく頭を狙って撃った。雨で視界の悪い中、複数の方が歩が悪い。もしくは悪運が強かったのか、ランボの残弾で全員を倒せたようだった。
「ケガはない?」
 腕の中のリボーンがちゃっと銃を取り出して、ランボに向けた。
 ランボはエメラルド色の瞳を見開いた。
 ”Cz75ファースト・モデルだ”と認識する余裕もあった。それは人間の体が危機に陥ったときに全ての運動能力を視力に回す、という状態だったかもしれない。
 ランボはリボーンの裏切りに呆然としながらその銃が火を拭くのを真正面から、見た。
 鼓膜が破れるほどの爆発音が耳元で破裂して我に返る。
 背後で人が倒れる音が続いた。振り返らなくても、絶命しているだろう。
「馬鹿野郎。最後まで敵に背中を見せんな」
 リボーンが朝のようにアッパーカットをお見舞いする。ランボはもんどりうって背中から倒れた。
「オレの弾も尽きた。すぐ離れるぞ」
 ランボは気圧されて自覚のないままリボーンを抱き上げたときに角を曲がる複数の足音が耳に届いた。
「ごめん、ここまでみたい。もっと一緒にいたかったけど、ごめんね」
 ランボは無理やり強張った笑みを浮かべて、一度強く抱きしめたリボーンをガラクタの隙間に押し込んだ。自分の携帯電話をリボーンの手に握らせる。
「使えるよね」
 自分の血で汚れたリボーンのぷにぷにした唇を拭って、キスをするように人差し指をおき「チャオ」と笑った。
 ランボはリボーンが濡れないように瓦礫の更に奥に押し込んで、すぐにその場を離れた。頭からぐっしょり濡れて体のあちこちから血を流しているランボに彼らは足を止めてあざ笑ったが、ランボにとって全く見覚えのない連中だった。
「昼間は世話になったな」
 リボーンの言うとおり、どうやら昼間の連中を逃がし損ねたようだった。ファイル外の人物もいたのだろう。
「全然覚えてないな」
 両手を挙げてみた。
「こんな子供に全員遣られたとは思わなかったよ」
「全くだ。失敗した。殺されるなら子猫ちゃんたちの予定だったのに」
「さすが色男だな、辞世の句がオレたちとはちげーぜ」
 その男の銃が自分の眉間を狙っていることは疑う理由もない。


 ――リボーン、ほんとにキミともっと一緒にいたかったよ。サヨナラ。


 風が吹いて揺れていた電線が地面に落ちて、一際大きく青白くスパークした。
 背中で起こった出来事にランボは気付かず、破裂音が聞こえた瞬間視界が真っ白に染まった。ランボの体は感電の衝撃で何度かバウンドをして背中から崩れおちた。
 電線がスパークするのを見た男たちも逃げようがなく、ランボと同じように体をバウンドさせて次々と倒れていった。過大な電流が流れ込んだ武器が暴発し、凄惨な修羅場が繰り広げられる。
 うめき声も聞こえなくなった頃、辺りには雨にも関わらず人体の焦げた匂いが充満した。
 ランボの両目は空を見開いたまま暗い空を映すこともなく、雨にうたれるままになっていた。
 大きな瞳から一筋、涙のように雨がこぼれた。






NEXT