春は蒼く、孤独だった。



 キャッバローネ・ファミリーの若きボス、ディーノは久しぶりに古い友人から連絡が入り、彼の住居を訪れた。ゴシック様式の外見に反して、内部はアジアンテイスト満載の独特の屋敷は使用人の気配も全くなく、鍵も開け放たれたままだった。人気がなく、荒らされた形跡の残る内部をディーノの部下が手分けをして捜索する。ディーノは、ひとり2Fにある主人の部屋に向かった。

 観音開きのその扉を両手で大きく開ける。中庭を望む窓はすっかり開け放たれ破れたカーテンが下がっていた。外気温と変わりがないほど冷えている。家具は乱雑に転倒し床に転がる白いカップの割れ目が痛々しく目にささった。
「ボス…他の部屋ももぬけの空でした」
「昨日今日の荒れっぷりじゃないな」
 慌てた感じの友人の電話を思い出す。
 『急で悪いけど、旅立つことになった。ヒバリを部屋に残していくから暫く預かって欲しい』
 『ヒバリってなんだよ?』
 ディーノの問いの途中で電話が切れた。
「ヒバリってなんだろうな」
 同じ問いを呟きながら部屋を一通り回った後、バスルームの手前、洗面所の壁にある飾りドアを開けた。まだ二人が小さい頃隠れて遊んだ場所だ。膝をついて部屋を覗くと、埃っぽい小さな部屋に何かが転がっていた。よつんばいでくぐり窓際に近寄った。
 小さい飾りにしか見えない窓のカーテンの陰に白い生足が見えて、ディーノの足を止めた。ロマーリオが後を続いてきたことで我に返り、カーテンを跳ね上げると空洞の様な目を見開いた少年が壁に寄りかかるようにしゃがみこんでいた。
 一瞬息を飲んだがロマーリオが素早く手首をとり脈を計った。ひんやりとした感触に生きてはいないことを関知したが、皮膚は不思議と柔らかかった。尋常ではない、人ならざるものを目前にして自然と鳥肌がたった。
「ロマーリオ大丈夫か?」
「ボスこいつは…」
「あぁ初めて見たな。これがプランツ・ドールという…」
 ロマーリオが握っている腕が身じろいだ。ディーノはロマーリオに代わって腕を取り、人形と同じ目線になるように膝まづいた。人形の着ているチャイナ服のあわせ部分に小さな封筒が差し込まれていた。
 【親愛なるへなちょこ 君がここにいることを望むよ。ヒバリを店まで連れていって欲しい】
 店のものらしき住所が走り書きされクレジット・カードが同封されていた。
 ロマーリオにカードを渡し人形に話しかける。
「ヒバリ?」
 人形の表面はなんの気配も変わらなかった。
 ディーノはそれでもヒバリ、と繰り返した。何度目か、人形の目に生気が揺らいだ。ディーノは黒い瞳が自分の姿の焦点を結ぶまで続けた。
「ヒバリ、だよな」
 少年は頷きもせず、視線を落とした。ディーノは着ていた毛皮の内張りをしてあるロングコートで少年の体をくるむと両手で抱き上げて部屋を出た。
 戻ってきたロマーリオが扉を押さえてる。
「店の場所は確認できたか?」
「勿論です」
 ロマーリオは返事をしながら、自分のコートを脱いでディーノにはおらせた。
「悪いな」
 白く息を吐きながら微笑むディーノを腕の中の少年は外気と同じ位冷たい目で見上げていた。

「ボスここから歩きです」
 車中で用意していた毛布にくるみなおしたヒバリを抱き上げて、ディーノは侵入禁止の細い路地に足を進めた。ロマーリオが先を歩き、目的の店のドアを開けてディーノを待つ。
 店内は様々なプランツ・ドールが二人を迎えたが目もくれず奥のカウンターに進んだ。店にそぐわない、無精ひげに白衣の男がカウンターに寄りかかっていた。
「セニョールシャマル?」
「いかにも。…ヒバリお帰り」
 ヒバリは敵意を剥き出しにシャマルと呼ばれた男を睨み上げていた。
「何もできねーんだから、んな怖い顔しねーの」
 ヒバリの視線を遮るように片手で目を覆い、閉じさせた。
「衰弱しているようだが」
「何日か食ってないみたいだな。連れてきてくれてありがとな。もうちょっと遅ければ手遅れだったわ」
「間に合って良かった」
「後はこっちで診るから大丈夫だ」
「こいつが戻るまで、俺が責任を持つから何かあったら連絡してくれないか」
 友人の残したカードを見せながら、ディーノはビジネスカードを渡す。
「連絡する事態にならないことを祈るよ」

 シャマルの予言はあっさりと外れた。 北イタリアへの出張中に、ディーノの携帯が鳴った。
 『ヒバリがアンタの毛布を離したがらないんだ。時間ができた時にこっちに寄ってくんないかな?』
「毛布?返さなくていいが…そういうのに意味があるのか?」
 『プランツ・ドールにゃ意味があんだがな。まぁいいや。元気になった姿でも見にきてくれや』
 ディーノが見舞い用の薔薇の花束を手に、ヒバリの様子を見に行ったのはそれから一週間後だった。
 店のドアをくぐったところ、入口で足を踏み外した。思わず寄りかかったドアのベルがけたたましく響き、シャマルが奥から出てきた。
「そこでコケるなんて器用だな」
「ちょっと足が長くてさ」
「確かにな…忙しいのに悪かったな。大変だろボス稼業も」
 憮然としながらディーノは流す。
「知ってたのか」
「オレの事も調査済みだろ」
「あぁ。…ヒバリ!」
 シャマルに生返事をしながらヒバリの姿を探す。圧倒的に少女のドールが多かった。紫や緑、白のベルベットやシルクのドレスやヘッドドレスで身を飾りディーノに興味深げな視線を送っている。その中に眠るヒバリがいた。
 寝ているというのに、初めて逢った時よりずっと華やかで生気に溢れていた。ディーノの毛布にしっかりくるまれている。
「元気そうで良かった」
 ヒバリの前にひざまずき、膝の上に薔薇の花束を置く。ふんわりとした香りにヒバリは目を開いた。つりあがった切れ長の黒い瞳がエキゾチックだと、ディーノの心臓が跳ねた。
「どうやらアンタを気にいったらしい」
「ん?」
「プランツ・ドールのマスターはドール自身が選ぶってのは知ってるな。で、前のマスターがいなくなって」
「あいつはいなくなってない。きっと帰ってくる」
 語気を荒くするディーノにシャマルは肩をすくませた。
「まぁ事情はわかんないけどさ、とにかくコイツがアンタに逢わせろってハンストすっからなんか意味はあると思うぜ」
「ハンスト?」
「一日三回のミルクが栄養源なんだが飲もうとしないんでね」
「それと俺とどう関係が?」
「コイツの意思だ」
「よくわからないな」
「プランツ・ドールのことは彼らにしかわからんよ」
 ディーノは膝まずいたままヒバリを覗きこんだ。
「俺はお前のマスターが帰って来ると思っているからマスターとしてお前を引き取ることは出来ないけれど、一緒に待つ、というスタンスであれば連れて帰られるけど、それでいいか?」
 ヒバリはシャマルが驚くほどはっきりと頷いた。ディーノは満面の笑みを見せて立ち上がるとヒバリの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「契約成立だな。準備はどうしたらいい?」
「通常、再度発売ってことでカネかかるんだが、“預かり”って形ならそれは請求できねーな。残念、残念」
 笑いながらしっかりと文句をいい、一日三回のミルク、一週に一度の砂糖菓子、そして身の回りのものをプランツ・ドールの好みのものに揃えるように、と注意事項を伝え、ミルク他当面の必要な道具を準備した。
「後は【愛情】だ。プランツ・ドールの一番のケアはどれだけ愛情を注ぐかってことがポイントだ。自分の子供のように、恋人のように愛情をかけてやってくれ。手に負えなくなったら返品可能だ」
 ディーノはカードで支払いをすませると、控えていたロマーリオが荷物を全部運んだ。
「良かったな」
 シャマルがヒバリの頭をやさしく撫でた。
「ちなみにヒバリというのはファミリーネームでファーストネームはキョウヤというんだ。ジャッポネーゼ製でな、フルネームを呼ぶときはヒバリ キョウヤと呼んでくれ。彼の国はファミリー・ファーストの順で呼ぶらしい」
「ジャッポネーゼってことはチャイニーズ・キャラクターもあるのか?」
「あぁ」
 シャマルは「雲雀 恭弥」と書いてディーノに渡した。
「ヒバリは空を飛ぶ雲雀、だな。恭弥は知らね」
「雲雀、かぁ。自由ないい名前だな」
「好き嫌いが多いからカップとかタオルとか好きなのを選ばせてやってくれ」
「楽しそうだな。雲雀、行こう」
 ディーノは、毛布ごと雲雀を抱き上げる。雲雀はシャマルに一瞥も見せず、ディーノの胸で目を閉じた。






NEXT