春は蒼く、孤独だった。



 ディーノの屋敷では、ディーノの部屋に続く隣に雲雀の部屋が用意された。窓際のソファに座る雲雀にディーノはひざまずいて雲雀の顔を見上げる。
「自己紹介がまだだったな。俺はディーノ。キャッバローネファミリーの10代目だ。で、こいつがーと、懐から小さな亀を出しー相棒のエンツォだ。一人でよくがんばったな。あいつが帰ってくるまでずっとここにいていいからな」
 ドアをノックして、ワゴンに様々な物を載せたロマーリオが入ってきた。
「揃えてきました」
「グラッツェ。雲雀、最初に君の好みを教えてくれないか?」
 友人の嗜好を考えて主に中国の物を中心に揃えた。様々な色、素材で雲雀が日常使う道具が揃えられる。雲雀からよく見えるように並べ、触らせては、僅かな視線の動きで選んでいく。
 冬にしては暖かい午後、日溜まりのような光景だった。

 ディーノは好んで雲雀の世話を焼いた。朝昼晩のミルクはできうる限り自ら飲ませたし、車椅子に乗せて温室やあちこちを散歩した。返事がなくても友人やファミリーの話をし続けた。
 始めは友人の代わりの保護者欲からだったが、次第に年の離れた弟のように愛しさがわいてきた。
 一方、本職のマフィアのボスの仕事をおざなりにするわけにもいかなかった。
「明日からしばらく出張に行くけど、必ず帰ってくるからいい子で待っててくれよ」
 雲雀は何も言わずディーノを見上げただけだった。「おまえのマスターのこともちゃんと調べてるさ」とディーノは雲雀の頭を撫でて、微笑んだ。

 出張中、雲雀がミルクを飲まないと控え目に連絡が入った。屋敷中で入れ替わり立ち代わり世話を焼いて「正直、ボスよりずっと可愛がっている」ということだっただけに、ディーノは雲雀に頼むことを選択した。
 電話を雲雀の耳に当ててもらう。
「何がまずいのかわからないけどミルクだけは飲んでくれないか?死んだようなおまえにはもう見たくないんだ。明後日には戻るから。頼む雲雀」
 鳥が飛び回る広い温室の中に雲雀はいた。車椅子に座り、膝には毛布をかけている。暖かい温室の中なのに、寂しそうな背中だとディーノはつい抱きしめた。
「雲雀、ただいま」
 雲雀はディーノに何の反応も見せなかった。
「元気そうで良かった」
 ディーノは雲雀を抱きしめたまま、雲雀と同じ景色を眺めた。冬を外で過ごせない鳥たちが思い思いに飛ぶのを雲雀はただ眺めている。
 雲雀は、ディーノの電話の後、ミルクを飲み始めたということだった。雲雀の手入れの行き届いた黒髪に顔を埋めて深呼吸をすると、ミルクのような匂いがした。
「気持ちいいな」
 雲雀の声が聞こえたような気がした。横から覗き込む。
「声が出るようになった?」
 ディーノは嬉しくなって指先で雲雀の唇を撫でると、雲雀の唇が少し開いて、がぶ、と本気で噛んだ。
「いっ!!!」
 反射的に振りほどこうとする腕の力を意思の力で押さえ込む。ディーノは痛みを我慢して、雲雀のなすがままにする。ミルクハンスト以外で初めて雲雀が見せる意思表示だ。ディーノは敢えてなすがままにして雲雀の反応を見る。
 雲雀は無表情でひとしきり噛んだ後、口を開いた。それっきりディーノに関心をなくしたように飛ぶ鳥を眺めていた。ディーノは言葉をなくして、紫に腫れてズキズキ痛む指先と雲雀を重ねて眺めていた。

 ディーノは寝る前に雲雀の部屋に立ち寄った。すでに眠っている雲雀の枕元に腰掛け寝顔を見る。噛まれた指先はまだ鈍くうずく。あの後、雲雀はいつもと変わりなく素直にミルクを飲み、身繕いを整えて寝た。
 あの時、確かに雲雀の強靭な意思を感じた。
 儚い外見に惑わされていた勘違いを知った。とんだ食わせ者だ。確かに視線は鋭く冷たい。体を動かせない、というだけで自分は雲雀をみくびっていたのではないか?大きな間違いを犯すところだったのではないだろうか?ファミリーを危険にさらすような…まさか。プランツ・ドールがトラブルの種になったということは聞いたことがない。突発的なことが起きて考えすぎたのだろう。
 雲雀が目を覚ました。キツくつりあがる目元から涙がすべり落ち、月の光を反射しながらシーツの上に転がった。
「どうした?寂しくなったか?」
 ディーノは内心驚きながらも雲雀の形のよい頭を撫でた。
 月の綺麗な夜だ。感傷的にもなるだろう。
「思う存分泣いていいぞ」
 ディーノは雲雀の涙がコロコロと転がっていくのを眺めていた。雲雀は涙を止めようと何度もしばたいた。睨みながら泣く雲雀にディーノは華やかに笑って、雲雀の隣に滑り込み、抱きしめた。胸に雲雀の頭を抱えて、背中を撫でる。
「大丈夫だよ。雲雀。ずっと側にいるよ…」
 嗚咽というものがなく、ただ涙が流れるだけというものがこんなに静かなのかと、ディーノは雲雀の背中を撫で続けた。

 ディーノは雲雀を抱きながらうとうととまどろんでいたところ、肩を噛まれて目を覚ました。
「ひっひばりっ!?」
 ディーノが驚いて起き、腕を離したら噛むのをやめて、雲雀は眠りに戻った。どうやら抱かれながら寝るのが気に入らなかったらしい、とディーノが思い当たったのは、しばらくたってからだった。
 言葉にできないもどかしさから噛んでいるのだろう。と結論にたどり着いたディーノは再び目を閉じた。構わなければ噛みつきもされないだろうってことだ。






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