チョコレート抗争



荒い息をつきながら広大な屋敷中を駆け回るボンゴレ10代目沢田綱吉は、ジャケットのポケットから懐中時計を取り出すと、ぜいぜいと大きく肩を揺らしながら小さく舌打ちをした。
「あと…30分、か」

綱吉達がシチリアへ渡ってもうすぐ1年になる。薄紅色のアーモンドの花が春の訪れを告げる2月のある朝、朝食のテーブルで9代目から告げられた今日の課題は「探し物」だった。
屋敷のどこかに隠されたチョコレートを見つけた者にはプレゼントが贈られるとの事だが、突拍子もない内容に当惑を隠せないまま、ちら、と部屋の隅に視線を送ると、9代目の側近の1人である秘書室長、ケルビスが僅かに口元を緩めてそ知らぬ顔で立っている…どうやらタダの探し物では済まないらしい、と察して9代目に向き直った綱吉が曖昧に頷くと、その掌に9代目愛用の懐中時計が落とされた。
「タイムリミットは正午。正面玄関の置時計の鐘の音が終了の合図だよ」

広大な敷地内に組織を支える中枢部であるボンゴレ本部と、綱吉達が生活するプライベートエリアを擁するボンゴレ屋敷には常に数多くの人間が働いていたが、9代目の指令は屋敷にいる者全員が対象だった為、朝から構成員も使用人もメイドも入り乱れてちょっとしたパニックとなっていた。
あまりの喧騒ぶりにこんな調子でボンゴレ大丈夫か?と流石に気になって、心当たる場所を思いつくまま走り回りながらも本部内の各部署の執務室やら厨房やらの様子を覗いてみたりもしたのだが、通常業務は滞りなく執り行われているようで、秘書室員曰く「捜索部隊と居残り組で時間交代制なんです!」との事だった。
ボスのスケジュール管理や広報業務といった対外的な活動を一手に担う秘書室で、2日後に控えた同盟ファミリーとの会食の打ち合わせの最終確認をしながら、余計な杞憂だったなあ、とほっとしたような申し訳ないような表情で苦笑いを浮かべると、「ただいま帰りました!」と捜索を切り上げた秘書室の新人が肩で息をしながら戻ってきた。
日頃から訓練に明け暮れている戦闘員はともかく、デスクワークが中心のホワイトカラーはネクタイを緩めながら「たまには体動かさないと鈍りますね」と真っ赤な顔で息を切らせていたが、厨房の辺りは使用人達が捜索済みでした、だの、北側の植え込みは人気も少ないし穴場かも、だの目端の利いた報告も抜かりないようだった。
室長であるケルビスの冷静さと緻密な仕事ぶりが部下達にも影響しているのだろう…こんな時まで良いチームワークだなあ、とほんわかしたところで、ふと綱吉の頭に疑問符が点滅した。
「あのさあ…何探してるのか、判ってるんだよね?」
「勿論ですよ!9代目からのチョコレートなんですよね?」
「ああ、うん。そうらしいんだけどさ…」
誰のものなのか、額にハチマキのようにネクタイを締めて次の捜索部隊が部屋から飛び出していったのを見送りながら、妙な体育会系ノリになってきたなあ、と些かの不安を抱きつつ綱吉が呟くと、
「そのチョコを手にした奴が所属している部署は、来期の年棒30%アップらしいじゃないですかっ!オレ達体力には自信ありませんから、頭使って連携プレーでいきますよっ!」
額に汗を滲ませながら親指を立ててにかっと笑う男に、綱吉は肩をがっくりと下げて力なく笑うしかなかった。

(なんか…変な事になってないか?)
あちこちに顔を出すたびに耳にする話はどんどん大きくなっているようで、「ディナーご招待」だの「世界一周旅行」だの果ては「1日ボンゴレボス体験コース」なんてオプションまであったが、誰もがわくわくと目を輝かせて語った「プレゼント」の内容はどこか微笑ましいものばかりで、それは裏を返せば皆のささやかな「願い」なのかもしれなかった。
(そういや、プレゼントの中身が何か聞いてないもんなあ)
自分はカタチあるものだと思い込んでいたが、探すように告げられたのはチョコレートなのだ…もしかしたら、本当に皆の期待通りのサプライズがあるのかもしれない。そう思うと、朝から走り詰めで時々もつれるようになっていた足元が、ほんの少し軽くなったような気がした。
(オレだったら、何貰ったら嬉しいかなあ…)
元より物欲はさほど強い方でもないし必要なものはひと通り揃えてもらっているから、特にコレといったものも思いつかないが、中身の判らないプレゼントに自分の願いを託し胸躍らせる気持ちは判らないでもなかった。
(オレの、ねがいごと…)
「……ボス?」
「うわあああっ」
ふっと沈みかけていた意識が声をかけられる寸前に僅かになぞった輪郭と、目の前に突然飛び込んできた漆黒の髪に綱吉が思わず悲鳴を上げると、クロームは小さく肩を震わせて「脅かして、ごめんなさい」と呟いた。
「あ、ああ、クロームか…そうだよな、うん。そんな訳ないよな、うんうん」
深々とため息をついて1人で勝手に納得すると、綱吉は首を傾げるクロームに改めて向き直った。
「こっちこそ、いきなり叫んでごめんな……てか、その格好、ナニ?」
「皆が、チョコレートを探してるから、一緒に探そうって…」
屋敷で働くメイド達が着ている黒いワンピースと白いエプロンに身を包んだクロームは、確かに年若いメイド達の中に混ざってしまえば彼女が霧の守護者である事を見落としてしまいそうだった。相変わらずおとなしく口数少ないクロームだが、世話好きで気立ての良いメイド達に何かと構われているようで、屋敷の中でメイド達と一緒にいるのを見かけては綱吉も密かに安堵していたのだ。
「そっか……なあ、チョコレート見つけた人にはプレゼントがあるとか、何か聞いてない?」
静かな事を好むクロームの心を動かすような「プレゼント」は何だったのか、好奇心交じりの問いをぶつけると、
「ボンゴレボスのチョコレートを好きな人に渡すと、思いが通じるって…だから、皆必死で探してるの」
「はあ?なんだそりゃ…」
人から貰ったチョコレートの横流しで思いを伝えるなんて邪道じゃないのか?と首を捻りつつも、メイド達の間では随分と可愛らしい願い事に変換されているんだなあ、と歓声を上げながら走り回っているメイド達の足音を聞きながら綱吉は苦笑した。
(あれ?て、こと、は…?)
「なあ、クロームも、チョコレート探してるんだよね?」
こくり、と大きく頷くクロームが、縋り付くように真っ直ぐに見上げてくる。
(……なんか、いやーな感じがするんですけどっ)
背中に流れる冷たいものを感じながらも、じっとこちらを見つめる瞳に促されるように、恐る恐る言葉を繋いだ。
「あのさ…あ、言いたくなかったら、無理して言わなくても良いんだけどっ!……もし、クロームがチョコ見つけたら、誰に上げるの?」
見上げる大きな瞳が、ゆっくりと瞬いて僅かに細められた。
「私の願いは、骸様の願いだから……ねえ、ボス」
チョコレート、貰ってくれる?

(ぜええええったいっ、奴にチョコレートを渡すもんかっ!)
クロームから、骸が「見た」というチョコレートの隠し場所を無理やり聞き出した綱吉が、自己最高記録で厨房から正面玄関へ駆け込んだ途端、古い柱時計が試合終了のゴングを鳴らした。






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