チョコレート抗争



獄寺は自室の机の上に大きな紙を広げた。紙の端にクリスタルのペーパーウエイトを置いてじっと眺める。
朝からボンゴレ本部の中はどこか落ち着かない空気が漂っていた。それというのも、本部内のファミリー全員へ9代目の勅命が出されたからだ。
――9代目の隠されたものを探し出すこと。
さらに、発見した者には報償まででるとは。
「10代目、必ずオレが探し出してお渡ししますから!」
邸内の見取図を前にして、獄寺は拳を握る。こういったイベントの日とはいえ、通常の業務も当然あったので、それらを片付けていた獄寺は周りからすると少々出遅れていた。しかも闇雲に探すには、本部内は広すぎる。きちんと計画をたてて捜索なければならない。
「人が物を隠すときは、自分が良く知る場所に隠す。知らない場所には、不安で隠せない」
――すなわち、9代目の行動範囲内のはずだ。
獄寺は眼鏡のブリッジに指を当てると、軽く押し上げた。蛍光ペンを手に取ると、見取図の数ヶ所に印をつけていく。9代目の執務室、私室、午後のティータイムに使われる娯楽室、書庫、正面玄関、良く足を運ばれる温室…
「…順番で行くと、こんなものか?」
獄寺は満足そうに笑みを浮かべると、バサバサと見取図を畳んだ。
それを内ポケットに納めて、部屋を出ようとした瞬間。
――コンコン
「ごくでら〜?」
ノックとほぼ同時に扉が開く。顔を覗かせたのは、ニコニコと笑った山本だった。
「てめーは返事があってから扉を開けって、何度言ったら分かるんだ?」
獄寺の鋭い睨みも、山本は笑って流すだけだ。
「…何しに来やがった」
「いやー。休憩しないかなーって」
「んだと?」
ますます眉間の皺を深くする獄寺に、山本は押してきたらしいワゴンを見せた。
「ガトーショコラ。生クリームも持ってきたし、紅茶はダージリンにしたぜ」
そう言って綺麗に盛り付けられたケーキを目の前に出されて、獄寺は口から出かかった文句の言葉を飲み込む。ふわっと漂うチョコレートの香りに皿に細く引かれたラズベリーソースの甘酸っぱい香りが混じる。カバーの被せられたポットの横には、緩く立てた生クリームがふわふわと揺れている。
「すぐに用意するから、獄寺そこに座って?」
「…うー」
獄寺は不機嫌な表情をしながらも、ソファーにどっかりと座った。生クリームをたっぷりとかけて目の前に置かれてもその表情は変わらないが、隣に座った山本の準備が終わるのを黙って待っている。白い陶器のカップに紅茶が注がれ、芳しい香りが二人を包む。
「…どうぞ?」
山本の一言を待ってから、獄寺はケーキに手を出した。
小さくカットしてソースを少しつけると、緩く立てた生クリームを掬う。口に運んで咀嚼すると、ほんの少し右の眉を上げた。
獄寺のその表情を見て、山本もケーキに手を伸ばした。豪快に切り分けると口の中に放り込む。カカオの苦味とソースの酸味に控え目の甘さが丁度いい。生クリームも絶妙の固さだ。
「んー、会心の出来かも」
「…ん」
山本の自画自賛に、獄寺は小さく返す。山本はケーキを手にしたまま、獄寺の耳に唇を寄せた。
「獄寺…美味しい?」
「ちょっ…おい」
くすぐったそうに肩を竦めて逃げる首筋を、山本はペロリと舐める。
「あっ…」
――カシャン
獄寺の持つ皿の上で、フォークが音を立てる。ニコニコと笑いながら執拗に追いかけてくる山本の顔を、獄寺は片手で引き剥がした。
「いい加減にしろっ!オレは10代目の為に9代目の勅命を果たしに行くんだよ。おめーと遊んでいる暇はねえ!」
山本は獄寺の手首を掴むとその指をペロリと舐めた。小さく身体を震わせる獄寺を楽しそうに見ると、再び顔を近づける。
「でもさ。ツナだったら日頃の労をねぎらうとか言って、部下に渡しそうじゃね?」
獄寺の動きが止まる。
「オレ達もそれに倣った方がいいと思わねーか?」
「…う」
「それにさ、今日は獄寺と一緒にいたい」
その言葉に、獄寺は耳まで赤くする。山本は可愛いらしいその耳を口に含むと軽く歯を立てた。獄寺が肩を大きく揺らしたのが嬉しくて、山本はそのまま赤い耳に舌を這わせる。
「ちょ…やめっ…」
獄寺は身体を引いて山本を睨み付けるが、薄く濡れたような瞳では何の効力もない。眼鏡を越しのそれは、山本にとって煽られるものでしかなかった。
「…隼人」
「待てよっ!」
キスをするために近づいた山本の顔を、獄寺は正面から思い切り鷲掴みした。
「うー」
そのままの姿勢で、山本が不満そうに唸る。今更、止められるものではないはずなのに。
――プルルルル
睨み合うようにして膠着している空気に、まるで計ったように内線電話の呼び出し音が鳴り響いた。お互いに瞬きをした後、獄寺は山本の顔を押しのけてソファーから立ち上がる。デスクの上にある電話の内線番号を見ると、9代目の執務室。
獄寺は、慌てて受話器をとった。
「は、はいっ、獄寺…」
『獄寺、見取り図ばっかり見ていないで、とっとと探したらどうだ』
「室長!?」
『のんびり山本とお茶している場合か?』
受話器から聞こえてきたのは、獄寺の上司である秘書室長のケルビスだった。いつもの冷静な口調にどこかからかう色が見えるのは、絶対に気のせいじゃない。
――それになんで山本がココにいることを知ってるんだよ!!
カメラの類を疑って、獄寺はぐるりと部屋を見回した。
『ああ、それからゲイブからの伝言だ』
山本の上司である危機管理室長の名前を聞いて、獄寺は咄嗟にスピーカーのボタンを押す。
『山本、いい加減にしないと減俸にするぞ』
いつものそれと違って明らかに声色を真似たケルビスの口調に、反射的に背筋を伸ばしてソファーから立ち上がった後、山本は腹を抱えて笑い出した。
内線電話の側にいる獄寺の耳には電話の向こうで起こる華やかな笑い声が届き、獄寺は知らず溜息をついていた。


その後、邸内では見取り図を片手に歩き回る獄寺と、その後ろからを忠犬のようについて歩く山本の姿が見られた。
「なあなあ、もしチョコレートが見つかったら、二人でバカンスにでも行こうぜ?」
「…お前、付いて来るな!」
――なんて言いつつ、ケーキはちゃんと全部食べてくれたくせに。
振り返りもしない獄寺の背中を眺めながら、山本は笑顔を浮かべていた。

――さて。見つけたらその手からどうやって奪い取ろうか。






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