それでも世界は美しい。 『10代目、何度か発信番号を変えて電話してみましたが、何れも留守電でした。番号はそちらの携帯にメールします』 獄寺との通話を切るとメールが届いた。発信元を隠さずに通話ボタンを押した。長い、呼び出し音の後、繋がった。相手は名乗らず、こちらの出方を伺っているようだ。獄寺の仕事に間違いはないだろう。綱吉は軽く息を吸った。 「――沢田です」 『草壁です』 「今、どちらですか?」 国際電話特有の僅かなズレは全く感じなかった。同じ衛星電話なのかもしれないが。短い言葉でお互いの思惑を計ろうという意思を強く感じる。 『日本です』 「――マルペンサでおみかけしましたが」 『――お会いすることは可能ですか?』 「無事ですか?」 『お会いした時に』 胸騒ぎがした。同じ学校だったけれど、直接話したことは数回しかない。どんな声だったか、どんな話し方だったか、全く覚えていない。だから、声だけで向こうの様子は全然思い図ることはできなかった。 指定された場所と時間まで、今すぐ動かないと間に合わない。なおかつ、草壁達も随時移動中ということで、この機会を逃すとしばらく潜伏するという。それだけでも重大な事態が起きていると考えていい。 『できるだけ少数で来てください』 綱吉は腕時計を見つめながら逡巡した。今の自分の立場と責任と、雲雀と――。 『獄寺君、内緒で大至急調べて欲しいんだけど、時間ある?』 『山本、大至急来られる?』 二人に指示を出して綱吉は着替える。黒い、闇のように黒いスーツ。グローブを手にした時に、まず山本が到着した。 「雲雀さんに何かあったかもしれなくて、今すぐ北イタリアに飛びたいんだ。ルートを確保できる?」 「一人で行くんじゃないだろうな?」 「まだ確定していないんだ。迷惑をかけたくないから一人で行くよ」 「だったら協力できねーな」 「そんなこと言わないでさ、頼むよ山本。なんかいやな予感がするんだ。取り越し苦労だと思いたいけど」 山本はじっと綱吉を見つめた。 「わーった。ボンゴレにはバレたくないんだろ?話つけてくるから待っててな」 山本は綱吉に背を向けて小声で電話をし始めた。 入口のドアがノックされて獄寺が訪れる。電話中の山本が片手を挙げる。 「お待たせいたしました10代目。ここ数ヶ月、雲雀は並盛にいないようです」 「やっぱり」 呟きに怪訝そうな顔をする獄寺に先を促す。 「ご存知の通り、警備を兼ねた監視自体が雲雀に潰されているので詳細は不明です。その代わり、草壁達を調べたところ、二ヶ月前に入国していました。観光ビザで、ヴェローナ付近を拠点にしています」 持参した地図を広げて場所を指す。イタリア北部でミラノとヴェネツィアの間に位置する都市だった。 「獄寺君、ありがとう!」 綱吉に両手を握られて、獄寺は赤面する。 「――っ、右腕として当然です!」 「じゃ、その右腕候補として。ツナ、十分後、迎えが来るぜ。一時間で目的地だ」 バチンと携帯を畳んだ山本は獄寺の用意した地図、ボンゴレが拠点にしているシチリア島の東側を指先でつついた。 「まず、海に出て、沖から戦闘機で一瞬だぜ」 「どんな知り合い!?」 「正確に言うと、知り合いの知り合い」 綱吉の頭に浮かんだ陽気な男。この借りにどんな要求がくるのかわからないが、背に腹は変えられない。 「戦闘機って…」 山本の会話に獄寺は眉間に盛大に皺を寄せる。二の句を告げさせないように綱吉は慌てて口火を切った。北イタリア方面に指先を置く。 「無茶なことだってのは承知の上で聞いて。草壁さんと二時間後に待ち合わせをしたんだ。さっき調べてもらったように…」 「同行します!」 「だめだよ。獄寺君はやっと傷が治ったんだから」 半年ほど前、獄寺は同盟ファミリーの裏切りにより拉致監禁され、大怪我を負った。足の指を潰された後遺症で車椅子の生活が続き、最近ようやく完治したばかりだった。 「全然問題ありません。10代目をお見送りすることなんてできません」 「獄寺君…」 獄寺は綱吉が辛そうに顔を歪めるのを見て、心が軋んだ。そこに山本が場違いなほど明るい声をかける。 「じゃ、ツナ交換条件な」 「交換条件?」 「通信機つけて?そしたら、こっちにツナの状況わかるだろ。獄寺もそれならいいだろ?」 綱吉のシャツの襟をめくって豆粒のような小さな発信機をつけた。 「これを獄寺がつけて」 耳栓のような長方形の筒状のものが獄寺の手のひらに落とされる。 「そして、これはオレが持っとく」 見慣れた、掌サイズの受信機を山本がポケットから取り出す。確かに残された方もどこにいるかと状況が見えれば、ただ待つより安心と言えよう。 「山本すげー」 「いやー、プロトタイプができたばっかりで」 獄寺はいきなり自分のシャツの襟元をめくった。 「だからできたばっかりでつけていないって」 獄寺の雄弁な一瞥に山本は両手を振って弁解した。半眼で山本の耳たぶを摘んで穴を覗く。 「信用されてねーのな」 「しょうがないよね。…入れ直したの?」 綱吉は自分の顎をトントンと叩いた。獄寺が拉致された時に、獄寺のインプラントに山本が発信機を仕込んでいたので発見できたのだ。 「不承不承。でも、こいつにもその内入れます」 「ははっ。怪我しないよーにしねーとな」 山本は獄寺に耳たぶをひっぱられたまま笑った。その指を離して、綱吉の両肩を握り締める。 「10代目。怪我だけはされないで下さい」 「うん、約束する、とは言えないけれど、極力そうする。オレも痛いのやだし」 獄寺を安心させるために殊更笑顔をつくった。 「なるべく早く帰ってくるから、獄寺君、その間よろしくね」 獄寺は綱吉からの笑顔に頭を下げた。骨ばった手の関節が白く浮き出るのを見て、綱吉は顔をそむけるようにきびすを返した。 「山本、下まで案内して」 「オッケ」 綱吉の部屋の隠し扉がパタンとしまった。獄寺は鼻の奥がツンとしてぎゅっと閉じる目に力を入れた。 |