HOME SWEET HOME 「今日のスケジュールは以上です…そう言えば、今日はまだ骸の姿を見ていませんが、あいつの出張は昨日迄じゃなかったですか?」 いつも通り、朝一番で今日1日の予定を確認する獄寺君の声に訝しげな色が差したが、予想通りの問いにオレは昨日から準備していた言葉と表情で切り返した。 「ん?ああ、言ってなかったっけ?ずっと欲しかった資料をこないだ思い出しちゃってさ、取り寄せるより骸に頼んだ方が早かったから行ってもらってんだ」 獄寺君が所属する秘書室はボスのスケジュールは勿論の事、幹部や守護者達の動向も把握しているから、本来なら骸の予定変更は真っ先に秘書室に伝えられるべきなのだ。 「言ったつもりだったんだけどなあ…ごめんね」 気まずそうに首を傾げると、獄寺君はほっとしたように笑って小さく首を振った。 「大丈夫ですよ。延長申請はこっちでしておきますから…いつぐらいまでかかりそうですか?」 今度は流石に動揺が隠せなくてぴくりと肩が震えたけど、スケジュール帳に視線を落としたままの獄寺君はそれに気づいた様子もなかったから、ほっとしつつも詰めていた息をそろそろと吐き出した。 「そうだなあ……あれこれ頼んじゃったから、ちょっと時間かかるかも。取り敢えず、来週末ぐらいにしてくれる?」 「判りました…では、失礼します」 ぱたん、とスケジュール帳を閉じて綺麗な最敬礼をひとつ残して部屋を出て行く獄寺君を見送ると、目の前に積み上げられた稟議書の山に額を押し付けて今度こそ盛大なため息をついた。 ――いつまで、誤魔化せるかな? 復讐者の牢獄に繋縛され続けていた骸は、オレが20歳の夏にボンゴレがその身柄を預かる形で解放された。 常にボンゴレの監視下に置く事、万が一の時にはボンゴレが全責任を負う事、を条件に出された以上、骸に本当の意味での自由を与える事は叶わなかったが、ボンゴレ屋敷内に宛がわれた居室とボンゴレ本部の財務・法務室預かりというポジションに思いの外馴染んだようで、最初の頃こそ遠巻きに畏怖の眼差しを向けていたマフィオソーや使用人達も程なく自然に接するようになり、今やオレの守護者というだけでなく、ボンゴレ本部の重職をも担う存在になっていた。 それでも1人で島外に出す訳にはいかなかったし、業務の関係上、国外の出張等は元より無いに等しかったから、骸が長期に渡って屋敷を空ける事など今回が初めてだったのだ。 ――そうだ…きっとこれが最初で最後のチャンスなんだ。 今回の用務は、アジア方面の新興産業地域を取り仕切るグループ企業との業務提携に伴う法務上の調整だったから、適任は骸以外にいなかった。本来なら同行するアシスタントの1人も就く筈だが、四半期決算を控えた財務室に人員を割く余裕はなく、現地での滞在も3日程だったから、「致し方なく」単独渡航となったのだ。 「向こうはもうスーツじゃ暑いぐらいみたいだよ…日本もそろそろ桜が咲く頃かな」 デスクに座ったまま出張申請書にサインをして返すと、溜まった書類を言い訳に顔を上げなかったオレの頭上で呆れたような骸の声が響いた。 「遊びに行く訳ではありませんよ…では、行って参ります」 聞き慣れた靴音が遠のき、ドアが閉まって1人きりの静寂に包まれても、オレは顔を上げる事が出来なかった。 そして2日前、骸からの連絡が途絶えた。 疲労に任せてスーツのままベッドにうつ伏せると、スプリングの軽い反動に体が揺れた。今日は久し振りに日付が変わる前に自室へ戻ってこられたが、ここ数日の激務にそろそろ日にちと曜日の感覚が怪しくなってきていた。 仕事が深夜近くに及ぶのは珍しくないし、執務室からベッドまで5分とかからないのだから自宅通いの部下達に比べると随分と楽な思いをしているのだけど、今日は妙に疲労が色濃く残り、一晩眠っても癒されそうになかった。 何も考えたくない、とばかりに目をぎゅうっと閉じる。指先足先まで疲労がまとわりついているのになかなか瞼が重くならなくて、ぐるぐると渦巻く頭を抱えてベッドの上で丸くなった。 今日も骸からの連絡はなかった。 財務室員だけでなく、他部署の幹部達や使用人からも幾度となく骸の不在理由を問われたが、予め用意していた答えに首を傾げる者はおらず、誰もが納得して頷くだけだった。 ――信用されすぎるのも、ツラいんだけどな…。 きっと、もう、骸は戻ってこない。 こうなる事を承知の上で骸を送り出したのだから。 ――もう、いいんだ。 マフィアに対する憎悪を生きる寄辺としていた骸はもういない…ならば、あいつがボンゴレにいなければならない理由は、どこにもない。 ――あいつを引き止める理由なんて、オレにはないんだから。 骸が旅立った翌日、こっそり呼び出したクロームに「日本で桜でも見てきなよ」と3人分の航空券を手渡したから、きっと今頃骸と合流しているだろう。追跡の手をどこまで抑えられるか自信はなかったが、4人一緒ならきっと大丈夫だろう。 ――きっと、しあわせに、なれる。 思えば14歳の頃…リング戦の時から、骸もクロームも霧の守護者として戦ってきてくれたのだ。それが骸が過去に犯した罪の贖罪になるとは思わないが、罪を償うべき相手はオレじゃない。あいつがオレを護る必要なんて、本当はないんだ。 ――オレが傍にいなくても…。 今、手を離してしまわないと……きっと、いつか、手放せなくなる。 冷たい掌をぎゅっと握り込んで体を縮めたが、眠りはなかなか訪れなかった。 「せめて毛布でもかぶったらどうですか?」 ばさり、と横たわる体を覆う生地の感触とその声に慌てて身を起こすと、灯りの落ちた部屋の中でも表情が掴める程に近く、先刻までもう二度と見る事もないだろうと思っていた色味の違う双眸がこちらを捉えているのに気づいた。 「……む、くろ?」 肩先から滑り落ちたコートを再びオレの肩に着せかけると、骸は静かにベッドの端に腰を下ろした。何でここに?と思いながらも、いつも真っ直ぐ伸ばされた背中がほんの少しだけ疲れたように丸くなっているのに気づいて、思わず手を伸ばしていた。 ――やっぱ、本物だよな? 掌に触れたジャケットの生地はひんやりとしていた。昼間、執務室の窓辺はさんさんと差し込む日差しに温められ居眠りしてしまいそうに心地良かったが、夜の外気はまだまだ冷たいのだろう。 お前こそ寒いんじゃないのか?と肩にかけられたコートに手をかけた時、こちらに背中を向けたままだった骸が半身を捻り、目を合わせないまま額をオレの肩先に押し付けてきた。 「む、むくろ…っ?」 傾いた体をオレに預けて落ち着いたのか、肩先でほう、と吐息が漏れる音がした。俯く顔を覗き込もうとすると、夜気に晒され湿り気を帯びた黒髪が頬をくすぐり、じんわりと胸奥に熱が広がった。 「……4・5日ぐらい、どうって事もないと思っていたんですがね」 じっとしていると、いつになくはっきりしない口調で骸がぼそりと零した。 「平気で1・2週間とかいなくなるし、やっと帰ってきても僕には顔すら見せないし…」 ため息混じりに告げられる言葉を、何の事かと黙って聞いていたが、どうも思い当たるフシがある……いなくなる、って言っても仕事だからしょうがないし、わざわざ帰還報告しなくても、顔を見に行かなくても、全然支障はなかったじゃないか。 だって、お前はいつもここにいたから。 オレが帰る場所に、お前がいたから。 思い至った結論に、今度はオレが深々とため息をつく番だった。 ――なんだ……もう手遅れなんじゃないか。 「……もう、帰ってこないと思った」 半ばヤケになって言い返すと、漸く顔を上げた骸にじろりと睨まれた。 「帰ってこない方が良かったですか?……わざわざクローム達まで寄越すとは、貴方らしい無駄な気遣いだ」 オレのささやかな企みなど全てお見通しだ、と言わんばかりの眼差しを精一杯睨み返すが、言い訳も反撃も思いつかずに愚図る子供のような台詞しか出てこなかった。 「連絡しなかったクセに…おまけに帰国予定日に帰ってこなかったじゃないか」 「天候不良で現地の空港が閉鎖されて、これでも何とか空きを見つけて乗り継いで帰ってきたんですよ…連絡が出来なかったのは、携帯が壊れて電源が入らなくなってたんです。公衆電話からかけても、どうせ非通知だと電話に出ないでしょう?」 「オレの携帯じゃなくても、他の電話にかければ良いだろ」 「他の番号なんて、いちいち覚えちゃいませんよ」 いつものペースで飄々と言いくるめられてしまい、1人で勝手に先回りして意地張っていたのが馬鹿らしく思えてくる。それでも、指先にまで血が通うようにひたひたと体中に満ちていくのは、安堵感だと判っていた。 ――だから、余計にムカつくんだけど。 力が抜けた所為か、頭がぼんやりと霞んできた…そう言えば、ここ数日殆ど眠っていなかったのだ。ふにゃふにゃと次第に輪郭が危うくなっていく視界の中、骸がゆっくりと立ち上がって足元に転がしていたジェラルミンケースを取り上げた。 「折角今日に間に合うように帰ってきたんですから…」 オレの頭上でぱかり、と無造作にひっくり返された銀色の箱の中から、色とりどりのお菓子と少し遅れて白い花びらが降ってきた。 「……なに、これ?」 ベッドの上に散らばったのはカラフルなキャンディやチョコレートと、何の花かは判らないが小指の爪程の大きさの真っ白い花びら。 「3倍返し、なんでしょう?」 再び座り込んだ骸がオレの前髪をかき上げると、引っかかっていた花びらがはらはらと舞い落ちた。 「なんのこと?…あ、もしかして、コレ、おみやげ?」 「……もしかしなくても、また、今日が何の日が忘れていませんか?」 途端に険を帯びた骸の声音に気づきつつも、急速に眠りに引きずられていく頭では何も考える事が出来ず…それでも辛うじて思い出したのは、丁度1ヶ月前、こんな風に何かを忘れていたオレを咎めた骸の声で…。 ――あれって、確か、バレンタインじゃなかったっけ? 重い瞼はもう開かず、ぐらぐらと揺れる上体は大きく傾いだ先で何かにぶつかって止まった。 「また無理を……全く、こんなボス、放っておける訳ないでしょう?」 呆れたような声音も今は子守唄にしかならず、毛布を引き寄せるように、体を包み込むぬくもりにぎゅう、としがみついた。 ええと…そんな訳で、ルイトモ的にはシャバ(爆)に出て、ちゃっかりボンゴレ屋敷に居候しているムクロさんでした。 080314/わんこ |