沈黙は死



その部屋は今までの血生臭さとは無縁の、まるで子供部屋のような明るさと優しさに満ちていた。大きく取られた天窓とレースで縁取られた窓、明るい色の絨毯とヴィクトリア調の華やかな家具。見当違いだったかと山本ですら思うほどの軽やかな部屋。中央に置かれた天蓋付きのベッドからくぐもった叫び声があがった。
「お前は!」
獄寺の手足を押さえていた男は、山本を認識した瞬間に懐に手をしのばせた。しかし、山本は全くそれに構わず、吸い込まれるようにベッドに横たわる獄寺に釘付けだった。意識をとばしているようなぼんやりとした顔、シャツは肌蹴けられ、あらわになった体には無数の殴打と内出血、血が凝固した傷跡、流血する足先と、その横に転がるぬらぬらと血でまみれた銀色の器具。
なによりも、その獄寺にまたがってシャツを開いた男を認めた瞬間、山本の気持ちが切れた。
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
獣の叫びを上げ、瞬時に刃に転じた時雨金時を振り上げてぴた、と止める。傍らにいた男が獄寺の頭に銃をつきつけていた。安全装置を外す音が山本の鼓膜に届いた。
「下ろしてもらおうか」
視線で人を斬りそうな山本の視線を受けて平然と立つ男。今までの雑魚とは違うようだ。ベッドで獄寺の体を検分していた男も山本に気圧されることなく、ふてぶてしく笑っていた。
「いい関係なのか?」
シャツから手を離し、獄寺の痣だらけの肌に手を這わす。獄寺の血だろうか。赤く、男の指の跡が残る。
「きたねぇ手でそいつに触れるな」
「本当だったらしいな。ボンゴレの雨と嵐の守護者ができているっていうのは」
「そいつに何をした」
「ボンゴレのことでいくつか教えてもらうはずだったが、口を割らなかったんでね」
「……拷問したのか」
獄寺の様子は尋常じゃなかった。体勢から後ろ手に縛られたまま両肩の骨が外れていることも見てとれる。
「獄寺!獄寺!!」
我慢できずに名前を叫ぶ。
獄寺はまだ意識があったのか、ゆっくりと山本の方を見る。
血の気を失った額には油汗が浮かび、翠の眼は白く濁っていた。叫び声を抑えるためか口にはタオルを詰められていた。ひび割れた唇が何かを伝えるように動いた。
「嵐の代わりに、キミに聞いても良さそうだな」
「こうやって、せっかくお出まし願ったことだし」
獄寺の姿に、激昂した感情が水で流したように消え去った。
整えた自分の呼吸音が消えゆき、無音の世界になる。
無駄なモーションを見せずに、獄寺の横、ベッドの上に乗り上げた山本の視界が広がり、自分に向けて撃たれる弾丸すら見えた。
両手で振り上げた時雨金時は刀に姿を変え、守式七の型・繁吹き雨で爆風を起こして自分へ向かうそれを吹き飛ばし、続き、攻式八の型・篠突く雨で男二人を同時に斬り飛ばした。
山本の視界に2つの血飛沫が舞い、その向こうに先ほど窓越しに見た執事がいた。そのまま勢いで飛び、刃を振り上げる。
「…もと」
獄寺の声が届き、執事の肩の寸前で刃が止まった。
「だ、め……」
執事を捨て置いて、ベッドに戻る。獄寺の口からタオルを外し、耳を寄せる。
「そいつ…助け…だめ…だ」
「お前を助けてくれたのか?」
こく、と小さく獄寺は頷く。振り返ると執事の傍らに置かれたトレイには水と薬があった。彼は今、獄寺に銃をつきつけた男の亡骸を胸に抱いていた。
「なんであんたは獄寺を助けた」
山本の問いは聞こえていないようだった。山本が正面に回り覗き込むと執事は涙を流して亡骸を抱きしめている。
「おい。教えてくれ」
肩をゆすられて初めて執事は山本を見た。彼は静かに泣きながら、獄寺にしたように喉と耳を指して横に手を振る。
「話せないし、聞こえないのか」
そのとおり、と首を縦に振る。
「隼人!!」
ビアンキが飛び込んでくる。意識不明の獄寺にすがって涙を見せる。この姿が本当の肉親だと山本は思った。そして、目の前の執事と自分が斬った男もまた肉親だろうと。
「姐さん、獄寺を連れて帰ろう」
震えるビアンキの肩に手を置き、声をかける。自分でも感情のない声だと思った。獄寺を一度うつぶせにして、剣先で縛るテープを切り、両肩に骨を入れる。まるで血が通っていないように冷たい体に、山本の背筋は緊張で震えた。シャツを着せた上からシーツでくるみ抱き上げると、獄寺は青ざめた顔を山本の胸に預けた。わずかばかりの暖かさに、山本は初めて息を吐いた。
ビアンキの先導で来た道をたどる。二人の恐ろしさが身にしみたのか、住人の気配がドアの向こうで息を潜めていた。正面玄関の外に待っているフィアットの後部座席に獄寺を抱いたまま乗り込むとビアンキがアクセルを踏む。
耳が遠くなったように、山本にはなんの音も届かなくなっていた。

帰る途中で、綱吉が手配したボンゴレの救急車と出会い、獄寺を引き渡した。ストレッチャーに乗せられる獄寺の惨状を目の当たりにした綱吉は大きな目を見開いて言葉をなくした。
意識のなかった獄寺が掴んでいたネクタイの端をぼんやり眺めていた山本の横で、ビアンキが綱吉に獄寺のリングたちを渡した。ありがとう、無事でよかった、という綱吉に強がりを返す。
「礼を言われる筋合いはないわ。当然のことよ」
ビアンキの目の端が赤く染まっていることを見逃す綱吉ではなかった。






NEXT