一輪の薔薇



「あのさ、日本の狼っていつ絶滅したんだっけ?」
「二十世紀頭にはもうじゃなかったか?」
ランボはうつぶせに怠惰にシーツに伸びている。リボーンは重ねた枕に寄りかかり、裸の胸を晒しながらぶ厚い本を手にしていた。
「だよね…。オレさ、20年位前見たんだよね。たぶん、狼、日本で」
ぱたんと本を閉じる音がして、ランボの横に滑り込むと片肘をついた。ん、とキスを交わしてランボは両腕を頭上へと伸ばして、シーツの中を泳ぐ。
「ちゃんと覚えてないけど、あぁそう、6歳の誕生日の前だった。"約束"が15歳の誕生日だったから」
ランボは腕を組んだ上で思い出し笑いを押し殺した。
「6歳の誕生日の前に、なんかあって、たぶんお前が原因だと思うけど、追いかけられていたオレを助けてくれた人がいてさ、その人が真っ黒な狼を連れてたんだ。顔とか忘れちまったけど、『15の誕生日まで預かってろ』って薔薇をくれたんだ。オレをママンに渡してくれるまで、その人が抱いてくれた。で、その人はその狼の上に乗っていたんだよ。すげー速さで走るからオレは楽しかったんだろうな。気持ちよかったことだけ覚えている」
「おまえほんっとにアホだったからな」
「うっせ」
組んだ腕の上に僅かに顔を傾かせてリボーンを見る目はぼんやりと笑っていた。眠りに落ちる寸前のやわらかい輪郭にリボーンは指の背中を滑らせた。その感触にうっとりと目を閉じるランボはそれ以上話す事はなかった。何度かその頬を往復させて、ランボが完全に寝入るとリボーンは改めてランボをかいなに引き込んで、ランボの髪の毛にくちづけを落とした。

夢の中だろうか?ランボは思い出の中にいた。見慣れた並盛の夜。必死で逃げ回るランボの影は月光に長く伸びてそれすらも恐怖を煽った。
「ツナー!!ツナー!!怖いよぅぅぅ!!」
短い足をもつれさせて時には転びながら追いかけてくる足音から必死で逃げる。小さい体を生かしてどこかに隠れればいいとわかっているのに、立ち止まれば捕まる恐怖の方が大きくて走る足を止められなかった。涙は流れ続け、頬は真っ赤で呼吸もつっかえながらでもう、どこをどう走っているのかわからなかった。ただひたすら前へ、前へ。
「ツナーーッ!!」
ァオーーーーーーーン!!
獣の遠吠えが聞こえて、ピタと足を止める。そしてもう一度。
オーーーーーーーン!!
耳元に獣の息遣いが聞こえたような気がしてランボはまた走り始めた。この瞬間も、すぐ頭の後ろにいるような気がする。果たして、必死で逃げるランボの横を黒い影が飛んだ。
「ヒッ!!」
強ばる四肢がもつれて転ぶ。顔から盛大に転んだランボの前に、ザザッと重量を感じさせる何かが躍り出た。恐る恐る見上げると月光の中で輝く、黒い犬とそれにまたがる人間がいた。
「ヒィィィィィッ!!」
耳まで裂けた大きな口と白い鋭い刃が月光を受けて煌めいた。その間からハァハァと生臭い息遣いがした。腰を抜かしたランボは我慢できずに盛大に泣き出した。見つかってしまったというのに我慢をする理由はどこにもない。
「ウワァァァァン!!ツナァーーー!!ママーーーン!!リボーーーーンッ!!怖いよぉぉぉぉぉぉ!!」
夜を引き裂くほどの泣き声だった。黒い犬の上から音もなく下りた人間はランボの横に跪いた。
「ツナのところに連れていってやるから泣きやめ」
「ツナ、知ってるの!?」
「ママンも知っているぞ」
「リボーンは!?おれっち、リボーンを殺すためにイタリアからきたボヴィーノのランボさんだよ!」
自分の好きな人たちを知っているということで、ランボは嬉しくてあっさり泣き止んだ。男かと思ったけど、ランボの好きなブドウのような甘い匂いがしたので女かな?と思った。
「奴らにみつかる。静かに」
ランボは口に手をあててうんうんと頷いた。
「目を閉じていろ」
閉じる前に胸に押し当てられ何も見られなくなる。くすぐったい浮遊感に体を震わせたランボが視界の端に見たのは、眼下に広がる並盛の街並みだった。小さなジャンプは家々の屋根を音もなく飛び跳ね、1分も立たないうちに約束通り沢田家の庭に降り立った。
「ボヴィーノのランボ。いいか10年後、15の誕生日にまた会おう。それまでこれを預かっててくれ」
「おれっち6歳だよ。10年後は16だもんねー!ガハハハ!」
見知ったテリトリーでランボはすっかり気が大きくなって近所中に響くぐらい高笑いをした。その声に気付いた綱吉と奈々が庭側の窓のカーテンを開ける。
「十年後だぞ」
念を押して、黒い犬にまたがったその人は飛び去った。
「良かったー!ランボ心配していたんだよ!」
「ママンー、怖かったよぅ」
ランボは縁側から下りる奈々に飛びついた。奈々の柔らかい腕に抱かれて恐怖心が戻ってきて再び泣き始めた。
「ランボちゃん、これなぁに?」
奈々はランボのもじゃもじゃから赤い薔薇を一輪取り出した。茎には銀色の鍵が一つ括り付けられていた。
「ランボさん、知らなーい。でも、今の人がねー、おれっちの15の誕生日まで預かってろって言ってたよー。ニャハハハ!おかしいよねぇ、ランボさん10年後は16なのにねっあいつ、計算もできねーでやんの!」
「ランボ、ちゃんとお礼言ったの?」
「ん?アララ?ランボさんはお礼なんか言わなくていいんですよ?そんなことも知らないの?ツナー」
「助けてもらったんだろ?だめだよ、ランボ」
「ツッくん、ランボちゃんも無事に戻ってきたんだからとにかくウチに入りましょう」
「あんねー、ママンあんねー、ランボさん怖かったのね。こんや、ママンと眠りたいのねー」
「はいはい。歯磨きしてお布団に入りましょうね」
「やったねー、へーんだ、ツナのバーカバーカ」
「何があっても助けに行かないぞ、もう」
シャッと小気味いい音を立ててカーテンが閉められ、三人の姿はシルエットになった。そこまで見届けて、狼と人影は何処へと去って行った。

奈々に甘えて眠るランボの枕元には鮮やかな深紅の薔薇が一輪と銀色の鍵。
そして、一つの約束。






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