トワ/±10



朝から鼻歌混じりの上機嫌でキッチンに立つ山本に対して、獄寺は退屈と不機嫌をめいっぱい滲ませた表情で勢いよくソファに座り込んだ。
「『今日はうちから出るな』って…自分の誕生日なのに、なんでお前の言う事聞かないといけないんだよ」
おまけに何故か「ピアノ禁止令」まで出ていて、いつもリビングの真ん中で堂々と鎮座している筈のピアノをわざわざ部屋の隅に追いやって、きっちりカバーまでかけているのだ。
「まあまあ、今日は一日うちでゆっくりしよーぜ。美味いもん作ってやるから、な?」
宥めるように声をかけつつ、時差があるとどーなるか判んないもんなー、とか、今バレるとつまんないしなー、とか訳の判らない独り言を呟きながらキッチンを忙しく動き回る山本の背中を見つめて、獄寺はソファにごろりと寝転がった。
「二十七、か…」
天井を見上げながら指折り数える…もう随分と長い事一緒にいるような、あっと言う間のような…。
ピアノを弾くのに邪魔だから、という理由でうちの中では殆どアクセサリーの類を着けなくなった白い指が、宙で歳月を数える…十を数えたところで脳裏をひらりと掠めた記憶の断片を追いかけようと思わずソファから身を起こしたその瞬間、視界が真っ白い煙に包まれた。


「…んだよっ!?たけ…っ」
キッチンで何しでかしたのか?と声を上げようとしたその時、霧が晴れるように視界が開けて…中腰の姿勢でこちらを伺っている山本の顔と床についた掌に触れる畳の懐かしい感触に、自分の置かれた状況を即座に悟ってしまった。
「…アホ牛め」
呻くような声を搾り出して大きくため息をつくと、
「ええと…獄寺、だよな?」
当惑の色を隠せない十七歳の山本の肩越しに、十年バズーカを担いで窓から逃げ出すランボの姿が見えた。

「誕生日を祝ってやる!」と山本の家に連れて行かれて寿司をご馳走になっていた時、寿司につられて後をつけてきたランボの襲撃に遭い、十年バズーカで飛ばされた事があったのだ…あれは十七の時だったのか。
「すっかり忘れてたぜ…畜生」
何も言わなかったが、山本は覚えていたのだろうか?今頃、十年後の世界に戸惑う十七歳の自分を宥めている頃だろうか…忘れられていた十年前の五分間の記憶が蘇って、獄寺は俯いたままふわりと破顔した。
(ま、頑張れよ…)

「なあ…十年後の獄寺、なんだよな?」
「ん?」
畳の上に座り込んだままどこか遠慮がちに伺ってくる山本を見上げると、見慣れた筈のその顔は記憶よりもどこか幼げな印象で、内心「こーして見るとカワイイもんだな」と思いつつしげしげと眺めていたが、山本はそんな視線に気づかないまま、じっと一点を見つめていた。
「…指輪、してないのか?」
「指輪?」
獄寺の手元をまじまじと見つめながら零された問いに首を傾げつつ、当時はどこへ行くにも両手に過剰な程のアクセサリーをつけていた事を思い出し、苦笑交じりに両手を山本の前に掲げた。
「ああ、うちにいる時は殆どしてねえな」
「え?あーゆーのは、いつもしてるもんじゃねえの?」
「邪魔くせえ」
「邪魔、って…それって、結婚指輪の意味なくない?」
「へ?何だそりゃ?」
山本の口から出てきた言葉の意外さに思わず聞き返すと、
「え…?獄寺、まだ結婚してないのか?」
「…誰と?」
「俺と」
大真面目な顔できっぱり言い張る山本に、頭の中が真っ白になり、一瞬言葉を失った…何をぬかしてやがる、このガキがっ!
「お前なあ…あー、これ以上は言っちゃマズいか」
何気ない一言が未来に大きく影響しない事もない。それを恐れて言葉を濁す獄寺に、山本は不思議そうに問いを重ねた。
「なんで?俺、獄寺にプロポーズしてないのか?今日、今から言うつもりなんだけど?」
「はあっ!?何だよ、それっ!」
「……その反応って事は、俺何も言ってないんだな」
「あー…いや、その…」
誘導尋問に遭ったような気まずさで口ごもると、傍らに膝をついた山本に左手を引かれて抱きすくめられた。馴染んでいる筈の体温なのにどこか懐かしくて、腕の中で心地良さげな猫のように目を閉じた。
「俺ら三人、一緒の高校に行ったけどさ…高校卒業したらどーすんのかな、って」
ぼそぼそと呟く山本の声を聞きながら、過ぎ去った十年を思い浮かべる…マフィアをごっごだの遊びだのと笑い飛ばしていた山本がいつの間にか戦う事を覚え、バットを握っていた手に刀を持ち、屈託なく笑うその次の瞬間には凄惨な目を見せるようになった。
あの頃は自分もまだ迷っていた筈だ…山本の手を取るべきか。今ならまだ引き返せるかもしれない、と。
「正直言って、俺もどうしたいのか、何が出来るのか判んねえし…」
気がついたらいつも傍にいた、何も言わずに笑って隣を歩いていた山本の初めて聞く気弱な吐露に、背中に回した右手に僅かに力を込めた。
「でも…獄寺と一緒にいたい、護りたい。それだけは判ってるから」
逡巡を振り切るような声音は、今の自分がよく知る二十七歳の山本と一緒だった。

あの頃、迷っていた獄寺を導いたのは山本だった。
十年前、バズーカで飛ばされた十年後の世界で出逢った二十七歳の山本の、自分を見つめる瞳と柔らかく触れる手が、十七歳の獄寺も十年後の獄寺も何よりも大切なのだと伝えてくれた。 たった五分の邂逅には約束もカタチも何もなかったけど…この長く続く道の先にあの手が待っているのだと思うと、自分を、山本を信じていられたのだ。

「あのな…目に見えるモノとか言葉とかじゃなくても、伝える方法はいくらでもあるだろ?」
顔を上げて山本の後頭部に腕を伸ばすと、くしゃりと髪の毛を乱して引き寄せる。額を合わせて間近に黒い瞳を覗き込むと、笑いながら言い聞かせるように呟いた。
「…ったく、俺を見てれば判るだろ?」
気づけよ、馬鹿タケシ。
もうすぐ、十年後のお前に教えられた事を抱えて戻ってくる十年前の俺が、お前にそれを教えてくれる筈だ。
身を離すと、再び周囲が白い煙に包まれた。あ、と思う間もなく真っ白になる視界の向こうから、山本の叫び声が聞こえた。
「獄寺っ!プロポーズは十年後に持ち越しだからなっ!」


ばーか。十年も待ってられっかよ。


白い煙が晴れて、見慣れた景色と十年前の記憶どおりに体を柔らかく拘束する腕に安堵すると、獄寺は山本の肩先に額を押し付けたまま笑った。
「おかえり」
「ただいま…っつーか、お前、覚えてたら言えよ!」
ソファに座る山本に抱かれたまま顎を小突くと、
「だってさー、あん時の隼人が『忘れてた』って言ってたからさあ」
思い出したらどうなんのか?って内心冷や冷やしてたんだよ、と笑いながら獄寺の左手を握り込む山本に、にやりと笑ってみせた。
「で、どうだった?久々の十年前の俺様は」
「んー、やっぱかわいいなあ。真っ赤になってがちがちになってたなあ」
「そりゃ、そーだ。びっくりするだろ、フツー。相手はコーコーセーだぜ」
「こっちもなあ、プロポーズするんだって意気込んでる時に『何だ、それ』って…結構傷ついたよなあ」
苦笑交じりにぼやく声に喉の奥で笑うと、左手を持ち上げられ、いつもなら山本から贈られた指輪を着けている筈の薬指の付け根にキスされた。
「ところで、十年前のやり直しをしたいんだけど?」
首を傾げて顔を覗き込んでくる山本と額をこつりと合わせると、上目遣いで不遜に言い放つ。
「ばーか。十年前に俺が言った事、忘れてんのか?」
二人が歩いてきたこの歳月が答えなのだと再び伝えるべく、目を合わせたまま唇を寄せた。






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